「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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ダニエル・バレンボイム, エドワード・W・サイード 『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(みすず書房・2004) A・グゼリミアン (編集), 中野 真紀子 (翻訳), 一昨年白血病に倒れたエドワード・サイードと著名な指揮者のダニエル・バレンボイムの「音楽と社会」についての豊かな語らい。パレスチナやユダヤ人問題等で二人とも「渦中の人」である。書物全体的にはサイード先生の講義にバレンボイムがゲストに来ました、という感じ。高校の音楽の授業なんかに最適なんではなかろうか。 「世界」は「社会」からできていて、動き続ける世界の中で、ひとはそのまた中のそれぞれの社会を生きているのだ、という思いがする。その中心にあるのは、自己と他者のかかわりである。音楽はそうした場所に響いているのであるってことを忘れそうなときにはぜひ読み直したい本である。原題は「パラレルとパラドクス」? そういういりくんだことを抜きにすれば、二人のなんて真面目なこと! これは「優等生的」という意味ではまったくなくて、教育者として指揮者としてそれはつまりサイード言うところの「知識人」としてさまざま課題をしっかり筋道を立てて話しあっている。 しかも最後のほうでは、なれあいに終わらせることの危険性を考えてか、お互いの違いさえもしっかり言明してるし。 「審美的な経験のいちばん素晴らしいところは、とくに音楽については、一つのものから別のものに移ることだと思う。(中略)そしてある意味では、それを受け入れていくのを学ぶことは、人生の流動性を受け入れていくことのを学ぶことだ。その点では実生活のパラレルだ。ものごとが進展していくなかで起きる諸要素の流動性を受け入れる勇気をもたなくてはならない。(後略)」バレンボイム P227 「いいや、僕はそれには賛成しない。人には受け入れてはならないものがあるとほんとうに思う。僕にとっては、たとえばベートーヴェンが、いくぶんはそのことを代表している。それは、なにか抵抗があるということだ。言いかえれば、僕はすべてのことが解決できるとは思っていない。」サイード -228 「みんな当事者としてかかわらなければならない」みたいなことを言ったのは真島昌利だったかジョー・ストラマーだったか。そういう意味ではサイードもバレンボイムも現代世界にたいして、おそろしく年季の入った筋金入りの当事者である。この思考のたたかいの作法。やっぱりサイードは世界にただひとりのたいした知識人エドワード・サイード氏なのだ。 個人的には、音楽の反社会性みたいなものに耽溺したい不真面目な人間なので、両者のベートーヴェンやワーグナーといった音楽家が生み出した音楽の現代社会における意味みたいな部分がタイムリーで、いかにも2000年代的な話題で面白かった。 「僕自身を例にとれば、自分の性癖のなかで同業者の多くから自分をきわ立たせていらしいのは、ものごとにのぞむ姿勢だと思う。」 サイードP85 サイードの書物を読むときの導きにしたい言葉である。また、世界的指揮者であるところのバレンボイムのあまりにもラディカルな「音楽」への興味のあり方。 「でも、いちばん大事なのは、音の動きをいかに人々に説明するかだろう。どうしたらそれができるか、僕にもまだよくわからないが、見つけようという努力はいつもしている。音には感情に訴えかける性質があるが、それはいったいなぜなのだろう。言いかえれば、どのように聞くかということ。曲が終わるまで付き合えることを願いつつ最初の音にほれ込むにはどうしたらよいか。そういうことにはじつに魅力を感じる。」 バレンボイムP87-88 職業指揮者の苦悩がにじみ出るっている!?最後にフェルッチョ・ブゾーニ氏の至言を引いて、現代の稀有な知識人であったエドワード・サイード氏の冥福を祈りたい。 音楽とは鳴り響く大気である
by maru-eo
| 2005-01-19 12:29
| 本・映画・芝居
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