田村隆一は
左のように書くのである。左の「生きてくためのメモ」はわたし個人が「生きてくためのメモ」である。他人には関係がない。この世の中に自分と親族以外は他人である。たとえ親族として血のつながりがあっても自分=わたし=おれ、ではない。
「われわれ」と「わたし」と「病める者」をつなげるような視点こそ、わたしにはないものなんだ。たとえ「わたし」が「病める者」であっても「あなた」には病んでもらっては欲しくない。これはわたしの願望だ。つーか、おれの。田村隆一はおれが好きな詩人だ。たぶんこれを読む人は好きでもなんともない人が多いだろう。それでかまわない。おれはおれで書かないと、そうしないとおれが書くことがないから。
おれは田村隆一氏の詩は大好きだが。人にはそれぞれ好きなものがある。
田村氏が「戦後最大の詩人」であると、おれが思うのは、彼が「戦後」の意味をわかっていて(そうにおれには思えて)、なおかつ「詩人」として生きてきたからだ。
おれはおれが書けることを書きます。
それが「おれしか書けない」ものかどうかなんてことはたぶん死ぬまでわからなそうだ。
今日、本を読み、写真集を見て、他人の言葉を読んだ。どれもこれも他人のものだ。おれもあなたも、けっきょく、他人だ。
自分の書くことが他人にもわかってもらえるようになんてことはまちがいなんだ。
なにかを書く時点で、他人にすっかりわかってもらおうなんて思わずに、これからは書く。そのうちの少しでも誰かにわかってもらえればこんなにいいことはない。それがあなたならもっといいなってだけで。