「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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あしたがあるさ、とかあしたになれば、とか『明日泣く』とか明日は明日の風が吹くとか、ひとが生きていくうえであしたというのはやっぱり大事だと思う。 夜になって今日はなんとか終わるようだし・・、あああしたが来る。日曜日の夕方とかブルー・マンデイとか一週間単位で考えてもきょうよりあしたはいまだ来たらざるまさに直近の未来であって、期待と不安のなかばで虎視眈々とせまりくるイメージがある。 「きょう」をふりかえるというのは、行為としては日記に似ている。きょうはこんなことがありました。あれしてこれして、と書き付けることによってあしたに備えるというのはウェブ上でもよくみられることである。ひとはそれをみて別におまえのきょうなんてどうでもええねん、と思ったり、そんな愚にもつかないことを書きやがって、と読んでしまったものの立場からひとりごちるのであろう。 柴崎友香による『きょうのできごと』も見ようによってはとるにたらぬきょうの日記である。何人かの若者の「きょう」周辺に起こった些細な出来事。宣伝文句には「小さな惑星の小さな物語」なんて書いてあるが、読んでみれば惑星などというよりも大阪や京都、和歌山といったローカルな環境を舞台にしたお話であろう。 本のはじめのほうでけいとが「今日はいつから明日になるのか」をわかる場面がある。 そのことを教えてくれたテツという男は賭博喫茶店の店員としてパクられて新聞に載った。 この物語ではきょうのはじまりを明確に言いえた人間=テツはもういない。周囲の人々に「なんかしてくれるとおもってたわあ」的ながっかり感を与えながら警察のご厄介になっている。 がっかりさせられた人々はそれぞれに堅実に楽しく日々を過ごしている。なんとなく例年並でした。それでいいじゃないか。 なんだかぼんやりとした光や風につつまれたきょう一日の周辺のなかで、だけれども時系列はゆるやかに過去にもどったりする物語を作家が丁寧に作り上げ、会話を組み立てている。 会話は、すこしづつなかみがかわりながらくりかえされる。幸福なつながっている感覚の途方にくれるようなくりかえし。音楽でいう対位法のようにフーガのようにくっついたりはなれたりしてふたりのまわりをまわっていく。いったりきたり。描き出される「きょう」はくりかえされるかなしみやたのしみでできている。 悲しみと楽しみを小さな天秤ではかりながらとりあえずきょうはたのしく幸せである。なぜならば、と確認し、整理してきょうの世界を書き表す。まずはそこから話を始めようとする作家のやり方に賛成する。 小説の仕事のひとつは、世界を再構成することだろうと思う。いまそれを行うことはとても困難だ。なぜなら、いま人は世界に無関心だから。世界からとおく隔たれて(それはいまやきっとR.E.Mというロック・バンドがちょっと昔に歌ったよりももっととおく離れている)、それでもなおかつ世界を眺めるためにはどうしたらよいか。 ひとつの答えをこの作家はおしえてくれる。小説を書くこと。作品のなかで自分のもっているものを組み立てなおし、ひとつの世界をたちあげること。 複数の若者の視点から編み上げられていく春先のきょう。柴崎友香がここに描き出した世界のきょうはおそらく多くのひとにとってはじまりにふさわしい日になるだろう。 おわりなんてみえるはずもない人生の途中で、茫洋とした世界のなかにかけがえのなさそうな「きょう」をうちたてること。そうした試みを弱弱しいとか、とるにたらないとか言うひともあるかもしれないが、必要なことだと思う。大傑作などではなく、こうした堅実に地に足をつけた語り手がさりげなく精魂込めてペグをうちこむように作品を残していく。 これは同時代人としてつつましやかだけれど、おおきな大事な仕事だと思う。
by maru-eo
| 2005-02-06 12:13
| 文学
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