「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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相変わらずの的はずれな行動であるようにも思える。 新日本プロレス・永田裕志。 前田日明が発言した自身の批判を受け「俺のヒョードル戦とあんたのニールセン戦を一緒にして欲しくない」「俺と同じ年齢の時のあんたの肉体はひとに見せるような代物でなかった」「プロレスも格闘技も中途半端だった人間。自分が辞めた後に、弟子たちに総合やらして」etc・・・ いや、言っていることは分かるんですけどねぇ― 20世紀が終わりを告げる頃、新日本プロレスには二つの選択肢があったと思う。 ひとつは武藤や蝶野たちによって一大ムーブメントを起こしたNWOに代表されるアメリカナイズされた純プロレス路線(ストロングスタイル風味) そしてもうひとつは猪木から面々と続き、一連の橋本小川戦によって現代に蘇り、永田、藤田、安田などの面々で展開していったプロ格闘技路線。 現状において前者は棚橋弘至、後者は中邑真輔にその系譜はそれぞれ受け継がれている。 新日本の問題はそのどちらの方向性も選び取る、あるいは捨てることができなかったことだろう。現在の混迷はそれに尽きるのではないか(誰がどう見ても完全に路線を絞った「プロレスLOVE」武藤・全日の方が面白いと感じると思う)。 新日純プロ路線は一時、定着したかにみえた。だが、その代名詞的存在であった武藤が全日本に移籍した途端、永田エース体制によってA猪木的世界であるプロ格路線に移行していく。「PRIDE」シリーズへの意識もあったかもしれない。 けして成功とは言わないまでも中西学、石沢常光(ケンドー・カシン)と共にかつてアマレス三銃士と謳われた永田はそれなりにエースの重任を果たすかにみえた。が、あの悪夢の「イノキ・ボンバイエ」。彼はミルコ・クロコップにあっけなく秒殺されてしまう。 あの試合は新日本プロレスのシュート幻想が完全に崩壊した瞬間といっていい。 古くは佐山聡対マーク・コステロ、「PRIDE」でもハイアン・グレイシーに石沢が秒殺されてしまうなど新日本のシュート幻想を揺るがす試合は何気に多かったが(永田はゲーリー・グッドリッジあたりに敗北していた気が・・・あれ、中西?)ミルコ戦はあまりに印象が悪すぎた。 新日本実力最強と呼ばれるエースが、元々K-1の選手であるプロレスラーハンターに、何もできないまま一瞬にして敗北したのだ。 猪木の時代から新日本は結局、「本当にやったら強い」ということを一番の売りにしてきた団体である。思えば、この時から新日の迷走は完全なものになった気がする。一度付いたイメージは簡単に消すことはできない。それは人前で何かをする人間にとっては決定的なことだ。極端にいえば、永田裕志というレスラーはあの試合でもう選手としては死んでいるのである (小川戦後の橋本も同様。両者に共通するのは「人が良さそうなところ」か)。案の定、1年後の大晦日、ヒョードル戦もそのイメージ通りの秒殺。つくづく永田は不幸な選手だと思う。 だが、不思議なことに一度死んだ選手も輝けるのがプロレスの世界なのだ。 久々に古巣に出戻った長州力に「天下を取り損なった男」と言われた永田の姿は最高に魅力的であった。 面白いことに前田も東京ベイNKホールで安生洋二に背後から襲撃され昏倒したとき、「喧嘩番長」としての彼は死んでいる。さらに前田はこの3年間完全に地の底に眠っていた事実がある。 この二人は、あるいは一方は、亡霊なのか、あるいはどっこい生きてる人間なのか。 いずれにせよ永田裕志が輝ける場所があってもいいと私は思うのだが。 投稿・内村亜希子
by maru-eo
| 2005-03-03 02:54
| スポーツ
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