まさにシェイクスピアの「ハムレット」が成立し初演された時代と場所ゆえにこの禁忌は説明がつく。一六〇〇年から一六〇三年のロンドンでのことだ。それは、誰もがイングランドの老女王エリザベスの死を予期していた、しかし彼女の後継者がまだ決まっていなかった、そんな時代だ。全イングランドにとって、このうえない緊張と不確実さが高まっていた数年だった。時代が全般的に不穏だった・・・
(中略)
舞台の上での芝居という仮面と衣裳の合間をぬって、恐ろしい歴史的現実がほのか姿を見せている。文献学的、哲学的あるいは美学的解釈がどんなに切れ味の鋭いものであったとしても、このことを変えることはできない。
カール・シュミット
『ハムレットもしくはヘカベ』P23
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この断言。誰も答えられない(または、答えようとしない)問いにたいして力強く言い切る人間がいたとしたら、来るべき物事はそこからしかはじまらない。カール・シュミットは文学者ではない。演劇評論家でもない。憲法学者である。ナツィのご意見番だ。同じ理屈でシェイクスピアを切るわけだ。シュミットの立ちの悪さが専門でない余技でさえないこの本にいやというほど現れている。「不穏」を実体化させる男。