「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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『音の力 沖縄「コザ沸騰編」』(インパクト出版会・1998)収録のビセカツこと備瀬善勝氏のインタビュー「ビセカツ一代記」からメモ。 藤田正著『沖縄は歌の島』(晶文社・2000)からプロフィール。 1939年那覇西新町生まれ、コザ育ち。佐渡山豊らの沖縄フォークの拠点でもあったキャンパス・レコード経営(69か70年から)。普久原恒勇、知名定男らに詞を提供。ンナルフォン・レーベル。「丘の一本松」、「十九の春」等をプロデュース。 嘉手苅林昌、里国隆(戦前の懐メロ、歌謡曲を歌いながらナフタリン売り・奄美から)の追っかけ。 高二のときゴヤ解放、引っ越す。 仲泊兼浦、馬車持ちゃー昭和35SP復刻版、古典「この人はいまの古典音楽では当てはまらなくて、抹殺されているけど、非常に注目すべき人です。いまの古典からは外れていますが、どっちが外れているかわからない」普久原恒勇P112 昭和37年くらい民謡酒場 喜納昌永が城間で始めたのが最初 1960年頃のスターは登川誠仁、喜納昌永、小浜守栄、嘉手苅林昌、前川朝昭、知名定繁、糸数カメ、船越キヨ、新橋カマド 琉球放送ののど自慢で大城美佐子、山里ユキ、前原淳子らたくさん ジュークボックス第一号が喜納昌永の「通い船」と石原節子の「ちぶみ」マルフク レコードはほとんどビクターがもってた マルタカが盛ん、普久原親子が大阪から戻り、喜納昌永や新人を集めマルフクを復活させた 嘉手苅林昌はビクターと契約していたが、マルフクでもうたっていたw 普久原朝喜の第一作は「移民小唄」(昭和2・17年SPレコード発売)「彼が新しい唄を作っていなかったら、民謡は博物館にいってたかもしれませんね」(P93)。 ラジオ沖縄「新唄コーナー」、「新唄大賞」 琉球放送、上原直彦が好みの「肝がなさ節」をしつこくかけるのでヒット 60年代くらいまではジュークボックスとラジオの時代。番組持っている人は肩で風きり 普久原朝喜 戦前からトランペット使う マンドリン、バイオリンも最初に使った。戦前にピアノのみの伴奏で民謡を歌ったものもある。 コザ十字路 コザ高通りが黒人ま街、知花に行くのが白人街、具志川にいく右にちょこっとフィリピン街、左手山の手が吉原、ウチナンチュ街。 黒人街と白人街の喧嘩もよくあった ダイレクトカッティング、78回転の音のレター屋も多かった。 終戦直後沖縄は活弁時代、役者が一番華やか。トーキー→芝居が下火 民謡ショーへ。闘牛場でも。TV登場→下火 民謡酒場・民謡クラブ・キャバレー形式 Aサインバーでフロアショー。ミカド(喜納昌吉)、ハワイなど一代民謡酒場街。80年くらいまで。 メッカは桜坂、歌謡曲・流行歌。ジャズは軍の中、50年代半ばくらいまで 朝鮮戦争→ジャズ ベトナム→ロック ギター 喜友名朝幸、徳比嘉政治。 電気三味線 知名定繁「沖縄の一番古い流派で湛水流の琴の工工四を作ってみたり。いま考えるとすごいですよ、文化功労賞ものです。」P98 あの人たちの時代までは民謡も古典も区別して考えてない(同) 「十九の春」 本竹裕助、津波洋子(津波恒徳の娘)マルフクレコード。復帰後。 もとは添田唖蝉坊「ラッパ節」。福岡の炭鉱から帰った与論の人々が、「与論ラッパ節」に。「与論小唄」、 「うんじゅが情」 70年には売っていた。 「ハイサイおじさん」彗星のごとく 1969月1年7日。共作の滝原康盛 「芭蕉布」 国語の先生がダラダラ書いてた詞。喜屋武繁雄に付き返され、「響きがいいねって自分で全部歌詞書いて」P101 古賀政男作曲「嘆きの夜曲」(昭和7)コロンビア 沖縄のヒット曲 「通い船」、「ちぶみ」、「丘の一本松」、「ちんぬくじゅうしい」、「ハイサイおじさん」 「丘の一本松」 72年。曲を元にした芝居のLPが3万枚以上!売れた。 金門クラブ 竹中労 29か30のとき。40くらいの竹中と出会う。「ヤクザを追っ払う天才でしたね。」401 上原直彦がからかって民謡の審査員にした。国吉源次(宮古のジュリー)、山里勇吉に最高点をつけて、上原正吉に零点。「上原正吉はスターですよ。変な人がいる。」P105 「あの人も思い込みの激しい人ですから、自分がこうと決めたら曲げない。」 民謡を全国に普及した功績はすごい。思想的に真っ白な民謡の人からは好かれている。 「大城美佐子なんか、竹中が来るとオニギリ作ってくるもんね」108 「島唄」 奄美大島の言葉だったのを上原直彦が70年代に「俺が流行らせるって言って定着させちゃった。もとは大島の言葉ですよ。大島の人怒ってるんじゃないかな」P105 沖縄では「民謡」と言っていた。 町田佳声 コザ暴動 「朝から、なんでこんなにうるさいんだろうって」「あれでかなりガスが抜けたんですね、沖縄の。あれがなければ独立していたかもしれないのに(笑)」106 「とくに左の方が沖縄のことを知らなすぎたと思うんです。現天皇が皇太子の時代ですからね。現天皇の方が沖縄のこと詳しいですもん。彼は沖縄の言葉を使って琉歌を書けますからね。それくらい沖縄文化の素養がある。伊江島には歌碑も建っている。ですから、左翼の論客が来ても現天皇にはかなわないくらいの勉強量できているんですから、こういう世の中になるのはわかっていますよ。」107
by maru-eo
| 2005-05-08 02:57
| リュウキュウコ
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