「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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中島みゆき 1998.3 ♪もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで わたしの子供になりなさい と余裕で歌うタイトル曲。聴き手と共(依)存しつつつねに先にいる歌い手? オレなんか言葉をもった音楽であるポップの強権力を発動した一種の恫喝ですよ、こりゃあと思ってしまうが、こういう言い草をふつうに聞けてしまえる状況が中島みゆきという歌い手を取り巻いているんだろうな。キモチワルイ子宮回帰願望とそれを歌にして受け入れてしまう怪物的歌い手、なんていうと「ナカジマミユキだからいいんだ」と余裕の笑顔で返される迷宮性がありそうだ。 ファミリーロマンスのどん底を生きてきた最強の歌う負け犬であるところのナカジマミユキが母性を強く押し出す。これはたんなる男たらしの図なのか? なんともアナーキーな母である。M10冒頭に「食べていくための仕事にひと休みして」という歌詞がある。男にとっては働く同志? 里親? たまたま子宮をもった男だったってこと? ぜひとも『哲子の部屋』に出てアナーキー対談をして欲しいなあ。 いづれにせよ、ともすれば美しいナカジマミユキ・マジックみたいなものがこの作品にはあまり出てこない。20世紀末のナカジマミユキの立ち居地を考える上で有用な一枚じゃないか。 本音と古臭い構図の拮抗が面白いロックソングM2。こういうのを歌えるのはこの人の良い面。ユーミン的な八王子→世田谷というファンタジックな感性へのニッポン的な感性からのカウンターパンチ。浜田省吾みたいな逆シンデレラ、ロミオコンプレックスみたいなのにも切っ先が向かっている。たいへん有意義な作品だ。でも「もう一度油断させてくれ」って結語はどうなのか。本音過ぎ。 ナカジマミユキにおける「僕」という主語も重要である。ドスといいぱっなしの歌い方が利いたM3。一家をなして数十年の歌手がいまさら歌う曲でもないだろう。現実認識の冷静さと願望の無邪気さがいまいちかみ合っていない。そのかみ合わないことをうたうのが大人の歌い手なのではなかろうか。「名のある僕にも」と歌って欲しかった。 M4男女の違いを清流の流れで出会わせようというアジアンテイスト・ソング。ここにも括弧つきの「心」が出てくる。「流れ」というのはナカジマミユキの作品を考えるうえで重要なモチーフだと思うがここにおいては自家中毒気味。かつて流れを遡っていけと歌った人であることを考えるとヒヨッタといえるのかもしれない。ファンの判断まち。 M5は「私たち」の「もしも」ソング。「春の中で 遅れることに怯え」、「通り過ぎた春のために 失ったものに怯えている」らしく、「失くさないものまで失くしかけている」と結論する。で「春はあやまちの涙」って、尾崎豊よりも意味分かりません。 M6ではカルい巻き舌と叫びがヴァン・ヘイレンみたいなシンセの音とあいまって醜悪になってしまっている。自分が死んでしまってもあなたにはなにものもふれさせはしないとは、たとえ離れても心は変わらないとも。このタフさは学ばなければならないところ。 M8はギターのアルペジオと8ビートにのって歌われる懐かしい感じの曲。ハートを思い出した。「こんなに人はいるのに どこにもあなたはいない」という木曜の夜のうた。フォーク的感性が80年代の東京を行くって雰囲気。もっと暗いアレンジでききたい。 M9はナカジマミユキ・マナーの曲。♪幼き者よ この海に憧れるな あてのない明日と しどけない過去の日々が すれ違うための 束の間の海だ 櫂もなくし舵もなくして (略) 遠い月夜を物語る。いづれにせよ言葉の不用意な使用が耳につく。 ある人が本に書くにはJポップのもっている可能性を示しているらしいM10は「TVをみている私」モノ。「日本人が・・」と繰り返す口ぶりはイエローモンキーの「JAM」(1996)を想いおこさせる感性である。「あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない」「しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故 救けだしてくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう」「この国は危ない (略) 平和を望むと言いながらも 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくもなれるのだろう」という感性は左翼の主婦じゃないんだし。「慌てた時に ひとは正体を顕わすね あの国の中で事件は終わり 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を吹きあげはじめた」。私の中での怖れ。ここでいう「私」というのは食べていくために仕事「を」(どうでもよいのかもしれないが「仕事を」がだろう正しい日本語では?)ひと休みをした中島美幸であるとみていいだろう。その私の中で炎をあげはじめたこの国への怖れ。12分19秒における楽曲の結論としてはあまりにもたよりない。「国」、というか厳密にはマスコミなんだけどここ歌われているのは、に「私」を対置させるという手法はあまりに安易でやっぱりフォーク世代はこれだから中産階級的プチブルに安住できるんだぜっていわれちゃんじゃないの。「爆音」を模したと思しきSEもまったくもって余計。 そうじていまもうたいつづけるナカジマミユキを強く打ち出した作品だ。しかし「心」がキーワードみたいに使われているのが気にかかる。カッコつきは意味分かりません。聞き物といっていいだろうM10もたとえば同世代の井上陽水が「最後のニュース」(1989)で示した衛星的距離感とどこまでも観察者的・叙事詩的な視点の秀逸さを知っているとほとんど聴くところのない「仕事・ひと休み」ソングである。全体的にナカジマミユキひと休み感がぬぐえない一枚だ。若者にはオススメできません。 1.わたしの子供になりなさい 2.下町の上,山の手の下 3.命の別名 4.清流 5.私たちは春の中で 6.愛情物語 7.You don’t know 8.木曜の夜 9.紅灯の海 10.4.2.3. 【評価】:★★★★☆☆☆☆☆☆
by maru-eo
| 2005-06-27 01:01
| 「Jポップ」を擁護する
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