「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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ここに書いたことをもう一度。写真家 児玉姫子 さん へ 文章が下手なのは自覚しているトコロであります。しかし私はそれしか出来ないし、一生書いていければと思っております。いまは、自分の興味と責任をもって書くことのできるのがいったいナンなのか試しているところ。 誰かが精魂込めて作ったモノを聴いたり観たりしてブツブツ言う、ときにはヒドイことを言ったりもする。ああ、いい趣味ですね、では終わらせたくない。だから、思ったことをどんどん書いていく。そのためにブッログというのは大変ありがたい。でも感謝するのはブログというシステムではなく、そのなかを行ったり来たりするナニかを作ろうという気持ちであり、それを実現させてしまうすべての人です。 モグラってのは2本の前足にでっかい爪があり、それで土をかき分けて前へ進むといいます。彼や彼女の目はほとんど見えず、その代わりに鼻でもっていろいろな自分たちに必要なモノを探すのだそうです。いや探すだけじゃなくて、鼻で判断したりもする。これが食えるかどうか、必要なモノかどうか。遠くから自分に必要なモノをあのかわいいピンク色の鼻でもってカギ分けて、爪でもってそこへ向かうためにカキ分ける。目も見えず、敏感そうな鼻を前に向けて生きとるわけです。スティーヴィー・ワンダーが言ってたな。他人はオレに目が見えなくてカワイソウだというけれど、みんなわかっていないんだ。オレはみんなが目が見えなかったらイイノニってさえ思う。目が見えてカワイソウだなって。人それぞれやることやりたい。 ミミズは目もなく、鼻もなく、爪もなく口でもって自分を生かします。彼や彼女が生きていくために食うのは土であります。ヒトが踏みしめているその土やらまあいわば大地ってことですが、それを食って、彼や彼女は自分たちの養分にして、また土壌を豊かにします。私は寡聞にしてミミズたちを主題にした文学や音楽を知りませんが、理科の授業で知りました。 モグラもミミズも、どちらも土の中なんてずいぶん奇矯なトコロにいて、自分たちの大きさの分だけ穴を掘り、前に進み、生きています。こないだ話しをさせてもらった東京農大のセンセイによればモグラなどの食虫類(虫を食って生きる類)は土の中とか隠れたところにいないとダメらしい。ミミズは雨の前には這い出てきますが。 『Passers-by 静かな肖像』という写真集を観て私が感じたのは、そういうようなことでした。正確に言えば、写真を見て、ナニゴトかをメモしたくなってノートに書いて、そうしてそれらをブログに書いているときに思ったこと。人を写真に撮るというのは大変なことです。私もシゴトで写真を撮らなくちゃならないんですが、ナニかをしている様子とかモノを撮るのはあんがいとできても人を真正面から撮るのはむつかしいです。よほど親しい人ならまだいいですが、初対面ではまずむつかしい。笑ってもらうのもむつかしい。プロの写真家のうちそういうの専門の人はスゲエわけですが、最近はそうでない人もいる。そうでないほうの写真家はしかし、とガンバッテ撮るか、別の撮り方をするように思う。最近はそういう“そうでないほう”がオモシロイのを撮っているのも観たことがあります。 人それぞれいろいろあったほうがオモシロイ。自分がこうしようと思ったことを実現するのがいい。そう考える(ことで、そういうことだけをやっているように思える「Jポップを擁護する」ワケです)私は、児玉さんの写真集を観て、さも当たり前のように道行く人を撮るのではなく、それよりももう少し深いというか複雑な肖像写真であるのでは、と思ったのです。そしてそれは、とてもイマドキ珍しい果敢な表現なのではないかと。 うーむ、長くなりましたが、まとめ。私は「ひとりの世界」を持っている表現者に親近感を覚えます。それでありながら、なんだかでっかくて広い「世界」に出ていって自分を表現する人に惹かれます。詩人でも、音楽家でも、映画作家でも、なんでもです。『Passers-by 静かな肖像』という作品集は、写真を撮ることでまさにそうしたひとりを抱えて世界に出ていく、ってことをやっている、と。思ったのです。人を撮るのはある人には簡単かも知れない。写真の大昔のちょっと後からイマもつづくのは写真館でもって記念の写真を撮ってもらうことだと聴きました。ナダールは大空を飛んで街並みを上から撮りました。全身デッカイ目玉の篠山紀信はシルクロードにも行った。ホントに人それぞれですが、写真家が世界へ、それはイマはもっとも身近なのは街だと思いますが、出ていくこと、それはきっとモグラとかミミズが自分の大きさだけ穴を掘って進むようなものなのかもしれない。自分の見ることのできる範囲に目を凝らして、撮りたいと思ったモノを撮る。すごく広い世界の中で、でも自分の周りだけが世界でもある。それを写真にとって、作品集にする。私が考える「世界」というもののなかで、児玉さんのカメラがあるところがもっとも先っぽの場所から撮ってこられた作品集だなと。 人はいつもナニゴトカを表現する場合、世界のいちばん先っぽにたったひとりで生きていると。モグラやミミズのように自分の大きさで世界をどんどん掘り進み、必要なモノを得る。それが他人にも必要なモノだった場合カメラを持った人はただ食うために生きているヒトではなくて写真家になるのだと思います。ときにはそれらが世界それ自体を変えることがあることも私は知っております。現に、そうして肖像を見て青山あたりを歩きとき、そこはイケスカないオサレな街アオヤマではなくなっている。私には必要なモノでありました。感謝しておりますよ~。長々読んで頂きありがとうございました。これからも期待しておりマス。
by maru-eo
| 2005-08-03 22:06
| 写真のお勉強
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