「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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18:55 『TBSテレビ50年~戦後60周年特別企画~ 「“ヒロシマ”…あの時原爆投下は止められた…いま,明らかになる悲劇の真実」』 を終わりの方だけ観る。広島に原子爆弾を投下した(開発者でもあるらしい)本人が、資料館を身、被害者と会い対話する、そこから。雑感。メモ。 このアメリカ人は立派。よくもまあ対話をしたものだ。彼は言いたいことをいっただろう。他方でほんとうにいいたいことが言えたのならいいけれど。どちらの対話者も。怒るなら怒ればいい。 たとえば「原爆はいけない」という文章なり言葉がある。これはナニか。経験談か。感想か、思いか。はたまた怒りか、悲しみか。まずそれはひとつになるものか。ならないとしたら、それぞれに説明できるものなのか。経験 ? 言いたいことがあるのならしっかりと言葉にしなくてはならない。伝えたいのなら、しっかり伝えなくてはならない。伝わりませんでした、残念です、では対話ではないだろう。 原爆を無くすべきだ、原爆はいらない、原爆はヒドイものだ。すべては違うのである。原爆は同じ ? それは本当か。 筑紫哲也は過去を知り、話し合うのである、と言う。過去を知った人間がある日突然、その瞬間からテロリストにもなるだろう。過去とはなにか ? 過去は現在よりも未来よりも膨大であると思う。過去を知る、その過去はいつか、それを示さなくてはならない。広島に原子爆弾が投下された、ということと日本が真珠湾を奇襲したと言うことは一続きの出来事であるだろう。原爆の投下は止められた、と言うことにどういう意味があるのか。もし止められたと断言できるのなら、止めてくれ。もし止められないのなら、止められないのだろう。 「殺すな」という人がいる。それで現在進行形の戦争に反対するのだ、という。「殺すな」ナニを? これは命令なのだろうか。誰が ? それらは言葉にさえならない、なんとなくの思いでしかないだろう。「殺すな」というアジテーションのもっとも大きな錯誤は「殺された人」を対象にしないことである。「殺された人」を排除して、「殺すな」という錯誤。「殺すな」ではいつまで経っても「殺された人」に先を行かれるだけだ。本来は「殺さない」ではないか。 詩人の飯島耕一は9.11の後に『アメリカ』という詩集を出した。そこにはこうある。 武器の谷のアメリカ 悲しいアメリカ それは私だ 私から癒えようとするアメリカ 決して私にはなれない 私を恐がっている 他人をおとしめることで、シーソー的に自分の位置があがると思うのは政治家でないだろうか。心の底からナニゴトカを表明するときには、まず自分の心の底をみなくてはならないのではないだろうか。そして底までいって自分の言葉を持ってくること。これは、まあ、詩人の仕事だけれど。 原爆、ヒロシマ、ヒバクシャ。カラオケ、ダンゴウ ? 痛みは自分のモノでしかない。他人の痛みは代わってやることができない。他人が死んだ、から、自分も死ぬ。では2つ目の死は、きっとあまり意味がない。 筑紫哲也は知るべきだという。ソクラテスは知っていること以外は知らないのだ、と言った。現実は哲学ではないから、固有名詞では説明のつかないことが多い。 なにかをするとき。目的があるだろう。世界に対して、他人に対して。目的のために手段があるだろう。なにがしたいのか、誰がしたいのか、誰に、ナニをしたいのか。何を言いたいのか。どうするべきか。ナニを ? ドウするべきか。そのためにナニをすればいいか。ナニをしたいの ? とりあえず、ナニをすべきかはむつかしいからおいといて、ナニがしたいの ? 本当に何がしたいと思っているの。そのうち何が出来そうで、何が出来そうにないか。それは発する者が考えるべきこと。 感想さえも言わせてもらえないの ? 自分なりにこう思いましたと、言い得る自信がない。 戦争について。日本人はもっと語るべきだと思う。保田與重郎は戦後に「一切の戦争という考えさえも持たないことをしなくてはならない」と言った。そんなことさえ思いもしない自分でなくてはならない、というようなことを言った。立派な考えである。理が通っていると思う。 オレたちは戦争のことを考えるべきである。原爆はその後だ。ほかの形容詞や助詞や動詞もそのあとだ。単純な単語を考えるべきだ。学ぶのは個人の経験ではなく、歴史であるべきだ。自分の思いにはとりあえず蓋をして、世界のことを考えるべきだ。 敗けたってほんとうですか ? 日本が ? 大日本帝国が ? アカン、アカン。 高畑勲監督 『火垂るの墓』 敗けたから終わったのであり、負けなければつづいていたんだ。小野田寛郎少尉は戦いつづけていただろう。30年間3人から、2人になり、1人になって、命令が来てやっと終わらせることになった。そういう戦争だっただろう。一人では終わらせることはできない、そういう戦争だろう。みんなひとりではじめて、そうしていつか世界に至るんだよ。そうでなけりゃ世界も、事実も歴史も、なんの意味がある。教えてくれるのなら教えてください。
by maru-eo
| 2005-08-05 22:22
| 「TV」をつけなさい
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