高橋よしひろ
このマンガが傑作なのは父親である「銀(ぎん)」がいるからである。『銀牙―流れ星 銀』は後半でおそろしくダレたが、それだけで傑作だった。それも「銀」がいたからである。銀がなぜ熊犬というイヌなのか。それは人間が主人公では描けなかったモノを描き出すためである。
この作品はおそろしく明快なマンガであるのでコムツカシイことはいっさい必要ない。銀はカミサマのようでもあり、ボサツのようでもあるが、イヌである。高橋よしひろが描く息も絶え絶えの「銀」の表情はおおくのことを考えさせてくれる。なぜならば銀はヒトでなくイヌだから。
ウィードは銀の子どもである。だからウィードもイヌだ。この系譜の作品が再び描かれたという意味は、まだイヌが必要だということである。ヒトではダメなんだ。イヌの親子が主人公のこのマンガは凡百のヒトを描いたマンガよりもずっと多くのことをオレに教えてくれる。
でも最近出てきた「猿」および「将軍」はちょっといただけない。後半ダレるのはいつものことか。それにしてもこの2つの作品が傑作であることはかわりがない。オレはいつかフランツ・カフカの「ある犬の研究」を読んだことがある。オレの知る限りではイヌに関して、小説家よりもマンガ家のほうがすばらしい。イヌを撮った写真家もいたが、写真よりもマンガ。