はっきり言ってしまおう。池袋は藍色と赤に彩られた都市である。見てみろいくつものネオンサイン、広告塔、看板。その多くがふたつの色に満ちているではないか。都市において建造物は建築家の手にあり、都市設計は管理者の手にあるが、彩る色彩は誰のものか。少なくとも勝手に設置し目を奪われることのない企業と従業員のものではない。住み心地とされるものが真剣で時に浅ましい生活者の過渡に生々しい感情の薄っぺらな統計であるなら、都市それ自体が発散する霧や汗のような色彩は考えつつ生きる固有名を持たない表現者達の感情を反映する。最も巨大な藍と赤を蒸気させているのはここ西口の百貨店のロゴであるが、内部に蠢く人間の感情にシンクロしたとき色としての藍は切なくも逞しい哀しい色彩に変わっていく。妄想ではない。なぜなら哀色のなかで力強く流れる血の赤い色が一筋のアクセントを主張し続けているから。いま妄想と現実が手を取り合いより強くなる。