「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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海に行ってきました。 神奈川県の鎌倉の向こうの一色海岸へ。 それでもってヘミングウェイみたいなことや、アルベル・カミュのようなことを考えられればいいのだけれども。 ええーっ、とか、うおぉっとかってこtが起こればいいんだけれど。 さいきん考えているのは日本の音楽のことです。 ムカシの坊さんが悪イモノを追っ払うために声を合わせる「警ひつ」はまるで人体によるクセナキスの〈ペルセポリス〉みたいな音で。いやもちろんクセナキスのに比べると人力でかつシンプルなのだけれど、こちとら考えてやってんじゃないよ、という声の群れである。音楽ではない。音。音なんだけれど、音楽といってよいンではないのか。 「音楽」といってよさそうなものを、なぜ「音」と呼ばなくちゃいけないのだろうとか考えているわけです。 いいじゃん別に音楽で。現代音楽系、あるいはクラシック音楽の人たちは西洋音楽の側から日本の音楽を眺めて、そこにあったのは音楽よりも豊かな「音」の世界だ、という。田中優子センセの『江戸の音』(河出文庫・1997)も基本的に同じようなことを考えている書だが、オリジナルは88年。なかで武満徹と対談していて、武満氏は田中センセの思考に飽き足りそうなものを発見したようだ。 文化としての音。オレの言葉でいうと音と音楽をつなぐもの。それが江戸にはあったという本。 江戸で三味線は「明澄な絶望感」を表現していたなんてドキッとすることを言ったりする。 空にはトンビ、砂浜には人の群れ。波が海の向こうからやってきて手を伸ばし、かえっていく。 夕暮れて、うしろの海の家ではチューバを吹くおじさん。ヴァイオリンの音を合わせる人。電気ベースがレゲエのラインを行ったり来たりする。向こうの方にはBlue Moonの三角屋根がたっている。 夕風が涼しいから森戸に移動してオアシスでも寄るか。こっちは今日はライヴはお休みってことで壁がない。広い店内ではレゲエがかかっていて、けっこうな人数のワカモノたちがチルアウトしてる。 昼間の太陽は夕日になって、正しく西の海に沈んでいった。屋根の上には月が出ているだろう。松のあいだに出ているだろう。だれも見やしないけど。 音と音楽のあいだはどこにあるのだろう。 安田寛氏の『「唱歌」という奇跡 十二の物語』によれば日本の唱歌は世界でも珍しい賛美歌に消化されなかった歌なんだって。それは奇跡といってもよいと。唱歌はかように学問的におもしろい。学問と音楽のあいだとは ? 学問や研究にはどこかにひとつの達成があるだろう。音楽の達成とはなにか。歌はどうして歌われるのか。 十五夜お月さん 妹は 田舎へ 貰られて ゆきました 十五夜お月さん 母さんに も一度 わたしは逢いたいな (野口雨情) これはもうひと月先の話。どうせならもう秋まで行ってしまえ。 からたちのそばで泣いたよ。 みんな、みんな、やさしかったよ。 からたちの花が咲いたよ。 白い、白い、花が咲いたよ。 (北原白秋) あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる今来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ お空に ゆうべの 星が出る 星が出る 今来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ (野口雨情) 1914年に高野辰之が書いた「水清き故郷」はまだどこかにあるのだろうか。「朧月夜」はあるけれど。オレが生まれた1978年に詩人の鮎川信夫は「自殺もせず 狂気にも陥らずに われわれのコーネリアスはどこまで歩いていけるだろう ? 口ずさむ一篇の詩がなくて ! 」と書いた。 詩はある。歌もある。音も音楽も溢れている。帰るべきところは、行くべきところはあるだろうか。ともあれ、なにはともあれ、今来たこの道 帰りゃんせ。横須賀線で帰りゃんせ。 ※オマケ 唄を忘れた 金糸雀は 後の山に 棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ 唄を忘れた 金糸雀は 象牙の船に 銀の櫂 月夜の海に 浮かべれば 忘れた唄を おもいだす (西条八十)
by maru-eo
| 2005-08-19 01:49
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