「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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8月28日(日)、日比谷野外音楽堂でZAZEN BOYSのライヴを観てきた。 ドラムズが天才アヒト・イナザワから松下敦(ex.ズボンズ)に代わってから初めてのライヴ鑑賞。和製ジーン・クルーパあるいはキース・ムーンだとか嵐を呼ぶ男の生まれ変わりだとか言われていたアヒトがいないZAZENとは、存在それ自体に意味があるのか、等言われている。いかなズボンズでアっても、アのアヒトのアなは埋められぬ、と多くの人が言っている。 そんなことを隣の友人に言ったらば「あんた、観てから言えよ」と。もっともである。あのスター・ドラマー アヒトを欠いては片手落ち以上に五体不満足ではないか !! そうオレもおもって臨んだライヴである。 しかし、結論から言っとくと、アヒトいない方がヨイ。ZAZENBOYSという新人バンドにアヒトは贅沢であった。アヒトの手数が多く、リズムにも色気を出すようなのはまだまだ不必要であった。いないほうがヨかった。なぜならば。 ZAZEN BOYSは稀代のアングラ・パンク・ヘヴメタ・バンド ナンバーガールの中心人だった向井秀徳がナンバガを解散して始めたバンドである。ナンバガは最後期にヘヴィメタリックを謳いながらヴォーカル的にはヒップホップに接近していた。ようするにその時点からいままでつづく向井個人の志向に近づいた、その時に解散した。よってZAZENは最高期のナンバガを棄てた向井の表現欲求を最大限に実践するためのバンドである。そこにおいて向井はより腰の据わったニッポン土着の煽り芸としてのラップを目指している。おのれの声でメロディーに頼らず客をアジり、てめえを高揚させることを志向している。 ということは具体的にはドラムズはコムツカシいリズムでなくシンプルなリズムを叩き出すべきであり、ベースはただそれに同調してはじければいいのであり、ギターも妙なスケールなど弾かずにただ向井のカッティングを盛り上げるサイドメンの一人でいればいい。 オレがこないだ渋谷AXで観たライヴで満足しきらんかったのは、バンドが向井を観ているということであり、向井がアヒトばかりを気にしているということだった。それによってただ向井がそこにいて何事かを歌い、バンドはただその機嫌を損ねぬように演奏をし終えることだけを目指しているということだった。つまり、音楽的にはほぼ満足できない向井秀徳ノベリティー・ライヴだった、ということ。向井ヲタならともかく、一般大人はつきあい切れんガキ・バンド・音楽だった。 向井秀徳が目指すリズムはかぎりなく2拍子に近い。ドベッとしたリズムの積み重なりのその上に向井の言葉が乗っていく。それこそが向井の本懐である。それを彼らは「祭り」という。まさに。ダサダサのリズムこそが彼らZAZENBOYSが打ち出したいものなんだ。今回のライヴはそれを周到にやり仰せていた。幅広めのアヒトでなく、ただただバスドラをドッシャッと踏みつづける松下某だから出来ることである。バスドラがドンッと打たれた後に短い余韻のようにベースが鳴る、そのいかにもニッポン・祭り的な鈍くさいリズムこそがZAZENのビートなのだ。 というようなことを理解すれば、この新生ZAZEN BOYSのライヴはかなり楽しめる。実際オレなんかは初ヤオンということもあってビールを4缶飲んじゃった。Bの3列目だったけれども何回も後ろに行ってたばこを吸ってしまった。まるでフジロックのように楽しんだ。いやオレはフジロックでナンバーガールを聴いたことがあるがそれよりも楽しかった。なぜならば、向井の言っていることはよく聞こえるし、リズムがナンバガ時のハードロックよりもより泥臭い、われわれの身体に根ざしたベタベタのビートだったからだ。 ZAZEN BOYSはここに至って真の新しい個性的なバンドになった。メンバーは向井のみを気にすることなくベーシストはドラマーのほうに行ったり客席をあおったりしている。とても楽しそうだ。ギタリストは前よりも地味に仕事に徹している。アヒトがいないからコムツカシイ、ドラムズとのソロ・アンサンブルもない。いいんだ、もとよりたいしたギターじゃない、まじめなのが取り柄なのだ。ただでさえ向井はかなり周到なリズム・ギタリストである。おいしいイントロやら、フックはすべて彼が弾く。サイド・ギターはさしてやることがない。オブリガードや対位法的なリフを弾いていればいい。 なかには以前のコムツカシいZAZENがいいんだ、という人もいるのかもしれない。そういう人とは話し合うしかない。しかしいずれにせよ、バンド・アンサンブルとしては現形態のほうがよっぽど完成度が高く、ソリッドな音を作り得るだろう。向井のラップをバンドの主要素とするなら、よりシンプルにベタベタなビートを重く打ち出しつづけるいまのほうが合っている。なにより変わったのはアヒトだけだから、それでヨイのかどうなのか、というだけだろう。オレの結論はイマのほうがよい。この形態をもってZAZENは何度でも聴くに値するオリジナルなバンドになった。
by maru-eo
| 2005-08-29 00:36
| #向井秀徳界隈#
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