史官は記録者である。唯一の記録者である。彼が筆を取らねば、この世の記録は残らない。そのかわり、書けば、万代までも、事実として、残るのである。書くべきことと、書かなくても良いことを、定めるのが、彼の役目である。書くべしと思い定めたことは、如何なる事が有ろうとも、書かねばならぬ。天に代わり、人間を代表して記録するのであるから、なまやさしき業ではない。たとえば、「史記」の「斉太公世家」に記載された実例は、この業のきびしさを、最もよくあらわしている。・・・・・・・・・ 武田泰淳『司馬遷 史記の世界』(講談社文芸文庫)P42
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オレは文章というか活字を書いてメシを食わしてもらっている。書かせてもらっている分野のために、良い場所に書かせてもらえる機会に恵まれている。
しかして、もっとも根本的なことは「書くべしと思い定め」られないということである。
武田泰淳のこの本は、小説家として知られる彼が一番元に書き下ろした数少ない小説でない作品一つ。司馬遷がなぜ、書くべし、と思い定めるにいたったか、がまずはじめの部分に書いてある。