「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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驚いた。 内村さんの書いたものを読んで、いまNHK3チャンネルでやっているイギリスのおそろしい多元中継クラシックコンサート(合唱・観客のつっこみ付き)から受けたのとはまたちがった衝撃を受けている。 イヌドウイッシンはどこか思い切った人、だとは思っていたが、やはり映画『メゾン・ド・ヒミコ』は『ジョゼと虎と魚たち』をさらに進めた作品でありますか。 切通理作が評論家として、そのキャリアをオタク少年からはじめ、ピンク映画を語りつつ宮崎駿・山田洋次という日本を代表する映画作家の世界を解説する、という所までいっていることは、先行する世代の評論家として、納得できることである。そのあいだに『ある朝、セカイは死んでいた』というセカイ・リポートがあったことも。 しかし、きみが >世界も狂っていれば、貴方も私もおそらくは狂っているのだろう。 >そんな「フツウ」の世の中で今、われわれは生きている。 という現状認識を持っていて、それを >今日において最も重要な共通意識のひとつ と言ってしまう、思考を育てていたのね。 そのことに、素直に驚いた。 なるほど映像という表現は、世界を見るところからはじまる。眺めたり、見入ったり、それを抜きにしてはなにも表現することはできない。音楽家がこれまでに世の中で鳴った音楽を聴くことから表現を始めるようにね。 しかし、勝手な危惧を表明させてもらえれば、表現というのは見たものや聴いたものや感じたものをいかに、自分なりに再構築して、これまでとは違ったものを表出できるか、というところに積極性が生まれるのではないだろうか。これはきみにたいしてじゃなくて、オレが考えている事ね。 してみるに、イヌドウイッシンという映画監督はどうにも自分が持つビジョン(映像であり幻影であり構想・未来像であり)をそのままに、いやもしかしたらそれ以上に夢のように美しく描き出す人であるな。たぶん。 オレが待ち望んでいるのは、現実と拮抗できるビジョンをもち、それを一人でも多くの人を巻き込んで表現できる人である。もとよりJポップの人々はそれにはあたらない。というより、音楽それ自体が、おおいにそうした道から外れて、ずいぶんと個人的なものになりつつあるだろう。 映画は集団的なものだ。それは音楽でいえばオーケストラとシンセサイザーと人の歌声をもった現代作曲家のようなものだ。 全然まとまらないけれども、映画てのはやっぱり過去の作品よりも、次の期待の一作を映画館で大勢で見たいね。そういうのが、もう何年もないのだけれど。 PS. 『エターナル・サンシャイン』のDVDを買いました。これは上↑で言ったようなオーケストラ的な作品と言うよりは、ビョーク言うところのデスクトップ的な映画作品(つまりは映像的なんだな)であります。まあ、暇なときに見て下さい。 今度『バベル』でも見に行くか?
by maru-eo
| 2007-02-19 00:23
| 本・映画・芝居
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