「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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この曲はとてもシンプルだけれども、歌詞にはほかの多くのJポップには見られない大きさ、が感じられる佳曲だと思う。 その裏には、宇多田ヒカル個人の人生における決断があったワケだ。 いまの彼女の想いは3度繰り返される ありがとう、と君に言われると なんだかせつない さようならの後も解けぬ魔法 淡くほろ苦い The flavor of life The flavor of life に、込められていると思う。彼女はこの曲で、恋とか愛ではなくてLife=人生を歌っている。 この曲は「私」と「君」を、対等の位置に置きつつ、最終的に「私」よりも「君」のことを想い、全体として、二人で過ごした時間をうたっている。 この曲が、単純などこにでもありそうな曲に聞こえるにもかかわらず、何度も聴けてしまうのは、この曲が単に自分の想いを歌にするのではなくて、二人の視点が与えられていることと、過去とイマと未来が歌われている点にあるだろう。シンプルな言葉使いで、複雑で豊かな時間が表現されている。 彼女は自分の置かれた状況で、そこにいる自分のことを 私らしくない と感じた。そして、相手に対して 「愛してるよ」よりも「大好き」の方が 君らしいんじゃない」 と問いかける。 個人的には あたたかな未来 手にしたいよ 限りある時間を 君と過ごしたい と考えながら、変わっていく現実を受け止めるわけだ。 最終的に、イマの彼女は 思い通りにいかない時だって 人生捨てたもんじゃないって と歌う。彼女は文字通り彼女個人の「思い」を超えた事実を受け入れている。そしてそれを「人生」という言葉にしてしっかりと歌っている。 彼女は15歳の時に「First Love」を創り、一人の相手への思いを歌うことで、音楽活動を開始した。以来、少し自意識過剰気味に相手「君」への思いを唄い御続けてきた。その彼女を聴き手は自分の思いを率直に、と同時にしっかりと言葉で表明する同時代人として支持してきた。 01年の「Final Distance」では「君への思い」が「二人のあいだの距離」というテーマに成長しただろう。02年の「Deep River」は、そうした距離感を明確に主題化した。 結婚後の共同作業として創られた「誰かの願いが叶う頃」(04年)で、第三者への思いを唄うに至る。 が、その後の楽曲の多くは、また特定の一人への思いを唄うことに終始していたのではないか(それはそれで、自分の現実を、そのままドキュメンタリーのように歌う、という意味では聴き手が彼女に求める、自分の思いを直接に歌う、という姿勢は変わらないといってもよいのだけれど)。 そして、いま彼女はそうしたことを「人生の味わい」として表現する。自分の思いを人生として位置づけられるのはたいしたもので、同時代の発言者・キモチの代弁舎としての役割をしっかり果たしている。しかも希望を忘れずに、だ。 振り返ってみると、「誰かの~」という曲を生みだしただけでも、二人の結婚生活は実りがあったのだと思う。 いづれにせよ彼女の魅力は、言葉にするほどではない、あるいは言葉にするのがこわいと考えてしまうような個人の思いを、しっかりと歌にしてくれるところにある。彼女の歌うテーマはこの8年で成長し、進化もしている。 彼女はいまどきめずらしいスター性のあるヒトだと思う。そのプルフィールも、実生活のあけっぴろげな露出の仕方も、それを受け入れられる度量の広さ(と彼女の家庭の開放性もあるだろう)、いわゆるセレブといってもよいだろう。 そしてそれをしっかりと聴き手が支えている。なぜならば、彼女がそのときどきの思いをいちいち楽曲にしてくれるからだ。彼女は、結婚の前後で歌のテーマをおおいに広げたと思う。そして、今回のことについても、ひさしぶりになんども聞き返したくなる楽曲を生みだした。宇多田ヒカルはいまも希有な力強い、同時代の思いの表現者である。
by maru-eo
| 2007-03-04 00:12
| 宇多田とUTADA
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