「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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廣松渉著『〈近代の超克〉論』(講談社学術文庫・1989)を読む。 話題の浅羽通明の『ナショ』・『アナ』を買おうと思って玉川高島屋に行ったら新書なのに900円もしてげんなり。そういえば、と本書を手に取ったら同じ値段だったのでこっちを購入。ちなみに03年で「16刷」!!である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「近代の超克」という思考のモチーフは、いまも私を割合に強くひきつける。 たんに何でも良いから「超克」しただけだろ、という内から湧いてくるツッコミに反駁するくらいの知識もいくばくかは身につけたとも思う。1978年生まれも「近代」の子なのである。 「近代」というものが柄谷行人氏が解説で書くように「何かを達成すべく前方に向かう時間性」であり、またそのような「理念や目的」をもつことであるならば、私もたしかにそのようななかで生まれたし育ったと思う。たとえそうした「大きな物語」はいまはもうないのだと言われ、私自身がただちに納得してしまうとしても同時に、しかしいまもまだあるべきだと思ってしまう。 あるいは、私にとって「近代の超克」を思考することは、そうした間違って教えられた事実だと思っていたものを、超えながら生き直す作業なのかもしれない。とりあえずは、すくなくとも私にとってはかなり現実的なモチーフなのである。 というところから、偉大なる廣松氏の著作を読む。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 死体の臓器をひとつひとつ取り出しながら「ああ、これはまだ使える」とか「これはひどい」とかいっているような本。お前らはもう死んでいる、とゾンビに向かっていっているようなモンだ。 ちょこちょこ自著のマルクス書の宣伝が出てくるが、こういうところ廣松氏という人はほんとうにおもしろいメンタリティーを持っていると思う。行文も、語句の使い方も、援用も引用も、じつに丁寧で、多量の引用文はいまとなってはとても便利。とくに中心となる京都学派の「世界史の哲学」や御大・西田幾多郎の思想、第2世代との関わりと違い、など学ぶところはじつに多い。 ただ感情的には、基本的に丁寧に著作等をたどりながら最後には踏みつける。けっきょく、みなほんとバカじゃなかったけど、ほんとのところはアタマ悪いんだよね的な視点。踏みつぶしているというか。とくに幕間の狂言のような第4章では平野謙が生殺しにされている。それはいっこうにかまわないんだが。 で、そうした知識的なところを別にして、最終的には・・・ 「壮大なる課題意識の表明という抽象態において提示され、情意的には一種のロマン主義的な国粋主義によって辛うじて生彩を施されるという未定形のものであったことが『近代の超克』を呪術的な統一スローガンたらしめる成因となった」p237 というまとめ。と・・・ 「ここでは往時一群の議論が拠って立った短見と浅慮を「真の」マルクス主義の見地から指弾する作業は割愛してもよいであろう。」p251。 という本音。「真の」が泣かせる。 うむ、いちいちもっともである。じつにわかりやすい行文。なおかつ連載ということをきちんと分かっていらっしゃる章と章のつなぎ方。 しかし、だ。こちとらがナケナシの知的情熱と900円の対価を払って探していたもの、それが浪漫なんだが、はここにはいっこうにないのである。煎じ詰めれば当の「大放談会」の行われる由縁であったところのマルクス主義の席巻まではなしを戻すのか、と問いたい。そうしたならば、時系列的に「浪漫派」はどうなるのよ? 「学派」は良いとしても。 けっきょくこの本もまた「近代の超克」という「壮大なる」「ロマン主義」にまつわる「未定形のもの」の魅力で手に取られるのだよ。私は学者でなく、マルクス主義に浪漫を感じないただの心弱い一労働者だ。 たしかに自身のマルクス書の宣伝としては、じつにおそろしく手の込んだものである。というか、読めば読むほどそれこそが執筆意図だったのだな廣松氏は! そりゃ御著書も読まねばならない、とも思うけどさあ。すくなくともマルクスが浪漫たり得ないことは歴史的事実として実証されているのではないのかね。 私の読書体験にたいする思いと御本に著されている応えは、貴重なものであり、また「昭和思想史への一視角」という控えめな副題にもまったくいつわりなしですが、件の座談会の議論のごとくかみ合いませんでした。 評価:★★★★★★☆☆☆☆ なお、柄谷行人氏が10ページに渉る解説を書いているが、これが結構良い。思いっきり胸襟を開いて、大真面目にまた親切に書いておられる。 が、結論としては(得意の)私たちは「なお超克すべき『近代』のなかにいて」、「戦前の『近代の超克』の問題を本質的に越えていない」云々であって、いかに「不可欠な書物として、本書が読まれることを私は希望する」と力強くまとめられても、私の不満は変わらない。 私としては「近代の超克」というトピックでは竹内好氏のものが役に立つし、オススメである。
by maru-eo
| 2004-08-14 00:43
| 本・映画・芝居
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