「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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竹田出雲が、塩冶判官という名を思い付いた如く、赤穂藩は、塩田で豊かで、彼は月並みな藩主として、うかうかと暮らして来た。十七歳の少年時代、やはり勅使饗応掛かりを勤め、首尾よく行ったのに、三十五歳になり、すこしばかり知恵がついたところで、又勤めてみたら、飛んだ失敗を仕出かした。彼は、上野介に切付けた時、思い知ったかと大声を発したと言われるが、それが確かでないにしても、思い知ったのは当人であった事に、間違いあるまい。ところで、彼は、何を思い知ったのか。 小林秀雄「考えるヒント2」文春文庫 テレビ東京でやっていた『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』(いまのところ第一部のみ)を大いに楽しんでみた。いまどき珍しい立派なTV時代劇であると大変感心した。 そしてがぜん忠臣蔵への興味が湧いてきた。僕はいままで、この物語は、内匠頭の刃傷はただの発端であり、そのあとが重要なのだと思っていた。 『瑤泉院』をみて思ったのは、発端も又大事なのだと言うこと。こうしたことは当たり前ながら、なかなか忘れてしまいがちである。僕らは忠臣蔵ってのは大石内蔵助と奥さんのりく の話が中心だ、とか、オレは堀部安兵衛が好きだとか、いろいろと言う。だけれども、それは忠臣蔵という物語全体を構成するパーツの一つ一つに過ぎない。 多くの場合、いつのまにか僕らは現代風の受容の仕方をしてしまうものだ。アニメでもマンガでも演劇でも政治でも、とにかくそこにある新しさ、いまらしさを追い求めがちではないのだろうか。現代風とかいまっぽさといいうのは、なにもポストモダン時代の精神構造とか、現代思想とかコムツカシイことではなく、ただ単純に、深いことを考えなくてすましている。そうした物事への平明で薄っぺらい対し方が、あまりにも当たり前になっている。 例えば高齢者の方々は飽きもせず、深いことも考えず、弱々しい内匠頭にも意外なほど個人的な強さを示すりくにも均等に没入し、忠臣蔵という物語を受け止めているではないか、という声もあるだろう。彼らや彼女らは、歴史という視点で見れば、ずいぶんと短い人間の一生のなかで、あまり細かいことは気にしないでもよい、ある種の瞬発力を失ってもよい、位置に達したとだけなのだ。 物語をきちんと受容するというのは、じつはけっこうめんどくさく大変なことだ。 赤穂浪士の討ち入りがあって、すぐに芝居の忠臣蔵は生まれたという。江戸の人々が求めたから、劇作家が、興行師が、対応したというのが最大の原因だ。 いま300年後の時代に生きる僕らが、その当時の観客と同じよう忠臣蔵を感じるのは難しい。 忠臣蔵という物語の偉大さは、いまもまだ、人々を当時の観客と似たような気分にさせるところにあるだろう。 だけれど、じつは僕らがしていることは、いかにもいま風にわかりやすいところだけをみ、何事かを感じているに過ぎないのではないか。 忠臣蔵は、江戸時代の人々にとって創作ではなく、現実の事件だった。もちろん当時から脚色はあったろう。重要なのは受け手は、ついこのあいだに起こった現実の出来事として受け止めた、あるいは受け止めざるをえなかったことだ。 現代の先頭に生きる僕らは作る側も、またスポンサーも、みている側も、じつに気軽になにか重大なことをあまりにも容易に忘れつつ、忠臣蔵には日本人が好きな要素が詰まっている、などと言っている。 僕が、思うのは、僕らが失ってしまったのかもしれない、現実への、一般の人々の、介入する力の、弱まりだ。 濁流の如く流れる些末なニュースに、パーツの一つさえしっかりと作ることのできないTVドラマや映画、個人の思いや経験や考えを吐露するだけの小説や芝居。これらは、いつの時代にもあったのだろうが、それぞれにおける、現実と拮抗する力といったものは、少なくなっている。 新しさ、これまでにないもの、を表しつつ、歴史にも目をこらすこと。新しさだけを求める受け手に向け、歴史のもつ重さやめんどくささを紛れ込ませながら、なにかこれまでになかったものを感じさせること。『瑤泉院』という時代劇は、そうしたことを、かなり周到にやり仰せていた。 具体的に言えば、なぜ、忠臣蔵という出来事は起こったのか、というはじまりへの視点があったろう。内匠頭の、個人としての幸せと、藩主としての不適正と、そうした現実をしっかりと認識していた瑤泉院という女性の心の機微を細かく描いていただろう。 より大事なのは、それらの現実に生きていた人々が、はげしく現実に介入されたということ。そして彼や彼女が幕藩体制という当時最大の現実に介入されながら、それぞれの立場で、現実に再度介入し、現実を変えたと言うこと。 現実とは、生きている人、の集積である。いつの時代の人々が忘れがちなことを忠臣蔵という物語は描き出す。物語忠臣蔵が生まれて、いくつもの時代を過ぎて、いま、人々は、その忠臣蔵自体をたんなる最高にありがちなお涙ちょうだいの物語に落とし込んで受容している。作り手も受け手も。 小林秀雄は「思いをいたすこと」が大事なのだとよく書いている。思いをいたせばそれでいいのか、人がみな小林秀雄のように賢いわけではない、など批判もある。 「考えるヒント」は、そうした小林秀雄が総合誌の編集者に依頼されて書いたエッセイである。 上に引いた文章で、小林秀雄という人は、たとえば僕のような人間が2000年代に考えることを、すでに言っている。このことは、ただ、内匠頭に思いをいたせ、「彼は、何を思い知ったのか」という簡単な言葉あるけれども、小林が書いた昭和36年も、いまもあまり人の忠臣蔵受容が変わっていないことを示すだろう。そして同時に、忠臣蔵という物語は、何十年経ってもしつこいくらいに日本の正月に垂れ流されており、人々の思いをいたす能力は、その間にもっとより弱まっているようだと僕に思わせる。
by maru-eo
| 2007-12-30 12:37
| 本・映画・芝居
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