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「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。 批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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吉田秀和氏による、ある音楽好きの弁。 こうして、ある年齢になったとき、私のまわりにはいつも音楽があった。そのうち、私はいつも母にせがんで、ピアノをひいてもらうだけでなく、見よう見まねでピアノで遊ぶようになる。兄や姉の歌ったりひいたりするところにわりこむようになる。 要するに、好きとか嫌いとかというさきに、ちょうど空気のように、ごはんのように、すっかりなれてしまっていれ、その存在を特に意識することさえない。 だから、ときに、親戚の家に泊まりにいったりして、音楽がきこえないときは、はじめは不思議な感じがし、それからしばらくすると、今度は、ものたりなくなる。 というより、のどがかわいたような、おなかがすいたような気がしたものです。P128私の「音楽学校」 著者の白井聡氏は77年生まれの同世代。とうとうこういう人が出てきた。同じ世代の音楽家の作る音楽が他の世代のそれよりも身近なように、学者の思考にも世代による共感はあるのだろうか。 氏が「はじめに」で語るのは次のようなことで、短くまとめると、「われわれがいま生きている世界は(中略)全き不幸な状態にある」ということだと思う。 こんなに真正面から「われたちは不幸だ」といえてしまう氏の感覚に、すごく共感出来る。もはや本当に浅田彰は遠くなりにけり、ですねえ。 本書の副題は「〈力〉の思想を読む」。この、われわれの世代の学者が考えようとするのは「力」です。レーニンを軸に、現代がいかに不幸であるかを語ること? いや、たぶんその先があるんだろう。 現代社会には、ロシア革命時における労働者階級のような現存社会を転覆しようとする社会的勢力が容易には見出せそうにないという意味で、世界は大きく変わった。 その一方で、資本主義にもとづく社会構造のあり方はレーニンが革命を企てた時代のそれに似通ってきている。 なぜなら、広大な帝国であったソヴィエト連邦がもはや存在しないいま、資本が労働者と妥協する必然性は存在しないからである。 だから、近年多くの人びとが語っているように、世界の多くの地域で現代の資本主義は徐々に「純粋資本主義」に近づきつつある、と言えるだろう。 つまり、われわれがいま生きている世界は、否定的な側面ではレーニンの時代に似ており、肯定的な側面ではそれと似ていないという、全き不幸な状態にある。P4 鳥越俊太郎著 「厄年を迎えた中年男が言葉もままならぬ状態で、しかも過程を振り捨てて異国に一年住んでみたらどうなるか、一つの個人的な実験」(P284) 日本ならば雰囲気次第というところがある。相手が急いでいるかどうか、本人にタイプの時間的余裕があるかどうか、頼んだ本人への人間的好感度またはその時の態度、両者の力関係・・・・要するに様々な要素がからまりあった「状況」に支配される。いわば「状況」の文化であり、その「状況」を自分に有利な方へコントロールするには細かい心遣いがいる。これが、メンメンと続く気くばりの文化である。 そこへいくと、アメリカは原理原則が決まっていて「ダメなものはダメ」という、融通無碍の世界に生きる日本人にはまことにやりにくい「原則」の文化である。P57 どこまで行っても「日本人であること」から脱け出せないわれら日本人。星条旗と国歌でアメリカ的愛国心を鼓吹され、一見そう見えながら、最後は一人の人間としての個人、あるいは神と個人の関係しか残らないアメリカ人。やはりわれわれは遠く相隔たる異なる文化の中に生きているのである。P152ー153 取材のためには相手が心の奥底まで語るよう“乗せて”やらねばならない。無反応では相手も語るべき熱を失う。p176 ラッキョウの時は、リックが「これはうまい。ピクルスよりおいしい」とポリポリやっている。ベティは「ヤック」(気持悪い)と叫んで顔をしかめている。何か汚いもの、野蛮なものでも見るような目つきである。 こういう時の私の胸中は複雑である。ベティの反応、態度には、私がまったく野蛮な非文明国からやってきたと錯覚せしめる何かがある。未知なものへの好奇心ではなく、生理的嫌悪と拒絶。私は自分が日本国そのものになって拒絶されたような不快感を味わった。p184 私の考えではさまざまな偏見は、お互い同じ人間として見ないで、何か異なる変わったものと見るときに生まれるように思えます。そして偏見は争いを生み、戦争に発展し、パールハーバーやヒロシマ、ナガサキの悲劇を生み出します。 私の一年間の最大の収穫は、われわれ日本人とアメリカ人は互いに異なる部分も多く持っているが、基本的には人間として同じだ、ということを私が認識できたことです。p279 ともかく私はこの希望と自由と、そしてさまざまな矛盾を抱え、それゆえに地球上の他にどこの国にもない包容力を持つ国アメリカの片田舎、ペンシルバニア州クェーカータウンに一年間住んでみた。この多様なアメリカを、「これがアメリカだ」という風に伝えられないのは当然である。しかし、「これはアメリカの一部であり、一面である」ということもまた事実である。そういうつもりでこの本を書いた。P283
南イタリアへ!-地中海都市と文化の旅-(講談社現代新書 1446) 陣内秀信著 講談社 1999 共振する世界(エッセー集成 3) 中村雄二郎著 青土社 1993 グラムシへの旅-現代イタリア紀行-(大月フォーラムブックス 2) 島田豊著 大月書店 1980 イタリアの魔力-怪奇と幻想の「イタリア紀行」- 島村菜津〔著〕 同朋舎 2001 イタリア紀行 上(岩波文庫) ゲーテ著 相良守峯訳 岩波書店 1982 ゲーテ『イタリア紀行』を旅する(集英社新書 ヴィジュアル版 007V) 牧野宣彦著 集英社 2008 イタリア紀行 1 フィレンツェ・ローマ-1775~1776- マルキ・ド・サド著 谷口勇訳 ユー・シー・プランニング 1995 澁澤龍彦のイタリア紀行(とんぼの本) 澁澤龍彦著 澁澤龍子著 小川熙著 新潮社 2007 イタリア紀行-1817年のローマ、ナポリ、フィレンツェ- スタンダール〔著〕 臼田紘訳 新評論 1990 イタリア旅日記-ローマ、ナポリ、フィレンツェ(1826)-1 スタンダール〔著〕 臼田紘訳 新評論 1991 イタリアは南が楽しい!-ナポリ、シチリア、サルデーニャ-(知恵の森文庫) タカコ・半沢・メロジー〔著〕 光文社 2003 ナポリ-バロック都市の興亡-(ちくま新書 279) 田之倉稔著 筑摩書房 2001 ナポリの肖像-血と知の南イタリア-(中公新書 1609) 沢井繁男著 中央公論新社 2001 ナポリのマラドーナ-イタリアにおける「南」とは何か-(historia 020) 北村暁夫著 山川出版社 2005 マフィア戦争-ナポリ・カラブリア・シチリアをゆく- 竹山博英著 集英社 1991 南イタリア・プーリアへの旅-青い空と白い迷宮を訪ねて-(SHOTOR TRAVE 木下やよい著 小学館 2006 リストランテ「アルポルト」片岡護の南イタリア食べ歩きレシピ-ローマからシチリアを 片岡護著 双葉社 2004 シチリア島へ!-南イタリアの楽園をめぐる旅-(角川文庫) 寺尾佐樹子〔著〕 角川書店 2000 ナポリと南イタリアを歩く(とんぼの本) 小森谷賢二著 小森谷慶子著 新潮社 1999 ヨーロッパと海(叢書ヨーロッパ) ミシェル・モラ・デュ・ジュルダン著 深沢克己訳 平凡社 1996 ![]() 読売新聞、書評欄から。 水谷修 「いいんだよ」。 「過去のことはすべていいんだよ」 「死にたいと語ることは/生きたいと訴えていること」。 ”救いは自分の中にある、幸せは待てば必ず来るという優しいメッセージに魂が揺さぶられる。” なる文章を書評で書いてしまえる読売新聞っていうのは 魂なんて書いちゃえてしまうんだなあ、と思う。 いったい、それは新聞なのだろうか。 私は経営者というより、事業を次々起こす事業家である。それが自分の本性である。 「事業欲と性欲は持って生まれたものだから抑えがたい」 (中略) 私はこの「事業性欲論」を終生貫き、消費者主権を確立するために「借金してでも 関連事業を展開する」事業家の道を歩むことを決めた。 ――『流通革命は終わらない』P84 大天才である、と思う。ただ、しかしほんとうにそうなのか。こないだ引いたことばもそうだが、この人の、中内氏の思いは、ただ天才であったかもしれない中内氏だけでは、貫徹しえないのではないか。半端な、自分以外の多くの人に何かを頼らざるを得ない人が、何を言ったって、結局、個人の過剰な、増長した個人の言いぐさである。 中内氏が、たとえばもし、何かをいったとしても、それでは、貫徹、実現されたことにはならないのではないだろうか。 氏の性欲云々はもとより知ったことではない。そして氏が大いなる一生を掛けて実現しようとした流通革命が、経営者ではなくて実業家である、などと、どこかのだれかの言葉を引いて言われたからと言って、後に続いた者が納得するのであろうか。 オレはそうは思わない。 誰か一人の人間が、自分の信じる道を行くのは良いとして、そうしてひいたレールに多くの人が乗った時に、ただそれは一つの事業だったと言って、納得できる人間がいるのか、オレはいぶかしい。 ある程度の事業をしてしまった、人間がしてしまった後で、それはオレの自由だというのは、自分勝手な話であろう。 中内氏が自分のなかで、ある程度のことをし得たからと言って、それを己、個人の力で為し得た何か、だというのは大いに間違いであるだろう。 あなたは、あるいはある人は大いに好きにやった。しかし、そのあとを背負ういるのである。それはあくまであなたが好きにやった後をの、尻を拭っていうのである。 そうしたことを忘れずにいて欲しいものである。 オレはそう思う。 人は、完全のたのもしさに接すると、 まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。 全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、 帯紐といて笑ふといつたような感じである。 諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。 必ず、恋人の非礼をとがめてはならなぬ。 恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。 ―太宰治「富嶽百景」1925年 ******************** 慶祝である、と作家は言う。 オレは慶祝といえば、ビール会社の慶祝ラベルのビールを思い浮かべてしまう。 それは、ひとつの商品名である。 でも、慶祝とは、作家が書くような風に使うべき言葉だと思う。 われわれが日々、仕事で思う、その言葉の意味が軽すぎるだけである。 慶祝である、彼や、彼女は、きみのなにがしかの頼もしさを、いつか、彼や彼女の全身に、浴びているんだ。 そうなのだ。 慶び、祝うべきことなのだ。 そういうことは、そうはないけれど、わりにあることなのだ。 気がつかないだけで。
ペソアと歩くリスボン(ポルトガル文学叢書 9) フェルナンド・ペソア著 近藤紀子訳 彩流社 1999 リスボンの小さな死 上(ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 237-1) ロバート・ウィルスン著 田村義進訳 早川書房 2000 リスボンの春-ポルトガル現代史-(朝日選書 448) 野々山真輝帆著 朝日新聞社 1992 リスボンからナザレへ-ファドの世界を訪ねて- 秋山秀一著 芦書房 1989 「名探偵」に名前はいらない 関川夏央著 講談社 1988 真珠湾・リスボン・東京-続・一外交官の回想-(岩波新書 青版 45) 森島守人著 岩波書店 1950 < 前のページ次のページ >
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