「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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(前略) 夕方の天気予報のお姉さんの乳房が気になる夏がやって来た 映像のテロリズム 9・11に ヒロシマとナガサキをかけらほども連想しないメイフラワーの末裔 北米人(グリンゴ)たち なつかしいアメリカよ ドク・ホリデイとエドガー・ポーと エルヴィン・ジョーンズのサマータイム 横たわる巨大なアニタ・エグバーグのミルクの大看板 武器の谷のアメリカ 悲しいアメリカ それは私だ 私から癒えようとするアメリカ 決して私にはなれない 私を恐がっている (後略) 飯島耕一「アメリカ」(2004) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ みなアメリカをなんといったらよいかわからない日々が続いている。ブッシュが我が物顔だ、だから「アメリカを返せ」という本や映画を売るドキュメンタリスト、「帝国」であると断じる左翼。 結局のところ超大国としてのアメリカが厳然としてある以上、その踏絵をどういう顔をして踏み越えるかの問題なんだろう。どれもこれも自分の立場を主張するだけでは、あるいはアメリカを梃子(てこ)にして自分達の心情を確立しようというのでは、何人であろうがそれぞれの9・11を繰り返すだけではないのか。みな当のアメリカからみれば「付属物」なのではないか。 そういういまさら左翼にもなれない私のような者にとって飯島耕一の『アメリカ』(思潮社・2004)は9・11後にあげられた心強い詩人の声である。 悲しいアメリカ / それは私だ いま“アメリカ”にたいして有効な立ち位置は「私」しかないのではないか。それぞれの「私」のなかのその国にたいする思い出、記憶、感情を整理し、いまのその国へ照射すること。誰もアメリカを客観的に、外側から語ってはならない。自分のなかのその国、その力、権力、豊かさ、そうした諸々と相対峙することが必要だ。そしてそのことだけが、アメリカを現実のわれわれみなの世界に現象させることができるのではないか。 しかし、そこに現れるアメリカとは? 私自身その国を語るにはあまりにも思い出さえない。感情もまたない。そうしたときに先人たるわれらが詩人の言葉はありがたい。詩人曰く。 私から癒えようとするアメリカ 決して私にはなれない / 私を恐がっている この詩行をなんども口の中で繰り返す。映像を見るたび、その単語を耳にする都度。何度も繰り返されるなかで、詩の言葉はひっくり返り、ちがった言葉になるかもしれない。そして時が来たら、唇から外に向け放ってみる。 「かなしいあめりかそれはわたしだ・・・・」 アメリカが自分を見失っているからと言って、それを安易に責められるだろうか。「あめりかはわたし」 「かなしいわたし それはあめりかだ」・・・・。 あめりかをこわがっている・・・・ 「けしてあめりかには・・・・ なれない・・・・・」 詩人の、言葉の力の助けを借りて、それぞれの私をアメリカにたいして、しっかりと立たせたい。
by maru-eo
| 2005-01-07 00:49
| ニッポンの詩人たち
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