ワルター・ギーゼキング
『ドビュッシー:前奏曲集第1巻&第2巻』
みなさんこんにちは。雨の土曜日である。ボロ市は大変そうである。ぼくはさっき家に帰ってきて白い息を吐きながら(煙草の煙ではない、それもあるけど)ギーゼキングの弾くドビュッシーを聴いています。前奏曲集。びっくりしてうれしい。
ルービンシュタインはぼくにピアノ西洋古典音楽のなんぞやってことを教えてくれた。リヒテルはつまらない。ミケランジェリもいまとこわからん。ホロヴィッツはいまも愛聴している。若い頃のは好きじゃないけど。で、ギーゼキングである。
このおっさん(?)やるな。すげい。この鳴らし方は確信犯である。
太い。迷いがいっさいない。太いドビュッシーって? 「メタ音楽」一歩手前のきれない花火みたいな音楽家がドビュッシーだろう。ギーゼキングは作曲家を向こうに回してけして退かない。この強い強い終わり方。タフだねえ、昔の人はやっぱり。聞かせ方わかってるねえ。
人の書いた曲をピアノで弾いて人に聞かせる。それがピアニストというもので、そうしたピアニストにもし巨匠とよばれるような位置があるとするなら、このワルター・ギーゼキングというピアニストはそこに座れる。こりゃ生で聴きに行きたくもなるわ。スゲイよ、あんたのピアノは。
ギーゼキング×ドビュッシーの音楽を言葉にすると、
ああ気分よく酔っ払ってるなあとおもってなんとなく前を見たらすごく真剣な目でじっと自分のことを見ている人がいた、みたいな感じ。あるいは、ああ気持ちよく寝たなあ、と思って起きたら、ソッコウで目は冴えるわ頭は回るわ、さて今日一日なにをしてやろうか、という朝。みたいな感じ。みなさんもぜひきいてみてください。