「保田は『生まれながらのデマゴーグ』であって同時に『精神の珠玉』であった。デマゴーグでなければ、精神の珠玉たりえない。それが日本精神そのものなのである。保田は限定不可能なあるものであり、そこから逃れることのできぬ日本的普遍者の究極の一つの型である。『空白なる思想』が彼の思想であり、空白でなければ不死身であることはできなかった。保田を限定可能な、実体的なものとしてとらえようとしたために杉浦〔=明平〕ばかりでなく『文学界』的知性も失敗したのである。
(略)京都学派の教義学は、それがどんなに戦争と国体を巧みに結びつけて説明しえたにせよ、保田の立場からすれば排撃すべき情勢論の一変種に過ぎない。彼の判断は定言形式をとらない。一見、きわめて強い自己主張に見えるものは、彼の思惟内部の別の自己である。だから彼の文をよむものは、いつもはぐらかされた感じをもつ。『図々しさの典型』と取られる。しかし実際の保田は小心者である。(引用文略)これは天の声か地の声であるかもしれないが、人間のことばではない。まさしく『皇祖皇宗の神霊』の告げである。『朕』でさえもない、巫(ふ)である。」竹内好
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『橋川文三著作集』1巻P208-209
※橋川が「多少省略しながらも、これが竹内が定義したロマン主義=保田の姿としたい」とする竹内の文。