溜まるもの はじけて割れる栗
割れる乳房 こぼれたざくろ つぶれたあけび
それら渇望の眼のいろの つながる涙のしたたり
濡れたまっしろい歯のような種子
離れる舌 ひとつになる舌 乳くびの列
乳頭のかがやく粒 紅蓮のとさか
にわとりの燃える眼玉 もつれあう舌
紫いろのくちびるの奥で盲いている葡萄
見ひらかれるくちびる 裂けて蜜をだすくちびる
純白な皮膚を切られた蜜柑の内臓
ピンクにひかる濡れた腸
百の女のからだの千のくだもの
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堀川正美 作「他の秋 マックス・エルンストに」部分
詩集『太平洋』(1964)
エロい詩といえば
伊藤比呂美さんですがあの人の場合はかなり「自分」寄り、というか主体的?な気がします。こちらの堀川氏のはけっこう「見ている対象」よりでしょうか。
とはいえ、たとえば皮膚感覚でおしきる赤坂真理のようなのともちょっとちがう。赤坂氏のは「自己溶解」を目指していそうですが、こちらは「それら」とか「にわとり」とか、自分からはすこし距離をおいて眺めている感がある。
この3者の表現の違いを男女の別などでいえるほど私は男と女をよく知らないので、個性の違いと言いたいのである。エロの表現における個性の表出。繊細な“エロさ”の表現。そんなものエロいか?と問われそうだけれども、どれもけっこうエロくないっすか?
男と女の違いとはなんでありましょうや。