「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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大変興味深かった。意義深いかどうかはぼくにはわからない。 行政訴訟のアタマのイカレた原告を自称する五十嵐敬喜と左翼運動で煽るのがいやになって学者になった金子勝と、人権弁護士と、そして宮崎哲弥氏。 もっとも象徴的なのは宮崎が司会だったことだ。宮崎がいうには「渓谷の意義は都民であればなんとなくでもわかっている。それを壊すというようなことを企業が考えているなら翻心を促せるのなら促したい」から司会をしている。彼は「普通はこういう反対運動系のシンポには出ない」ともいう。 流れとしては企業と行政の無能さをみなで糾弾するも、その流れはとめられぬ。反対する手段を考えるも五十嵐氏に「全部やれることはやったらいい。全部失敗する」とコメントされ終わり。 弁護士は弁護するのが仕事だから「原告がいれば」といい、学者は厳密をきするのがレーゾンデートルだから「詳しいデータがないからきちんとしたことはここではいえませんけど」と容易に言う。これでなんのための話し合いか、といえば宮崎哲弥が存在するがためにとしかいえないだろう。 宮崎は「それで、運動をつづけるためには」と繰り返す。「私は保守的な人間ですので」ともいう。彼だけは、ほかとは違う。本質的に矛盾したことを2つ同時に言っている。こうした立場に比べれば、他の3人はまったく立っているところがちがう。 最後の一言として、人権派は「都会の人は人口が減っていく社会になるということをまだ現実的にはわかっていない」、金子は「野次馬でもいいから参加できる運動をしなきゃ」、五十嵐氏は「3人必要だ。それもその3人はアタマがオカシい必要がある」という。宮崎はなんと言ったか。 近く都議選があるから、候補者にこの問題をどう思っているのか質問状でも送るべきだ。 彼は現実を変えようとはまったく思っていないのだろう。そりゃ評論家だから、というのはわかるが、しかしそうした人間がこうしたシンポジウムに出て司会をしているというこの現実はどうなのか。。。ひどく不条理である。あるいは、こんなに虚無的なことはない。ほとんど、ブラックジョークの域だ。。。。 みな、そういうもんだと思ってやっている。反対する。それはいい。手段を考える。行動に移す、実践する。仕事にする。飯の種にする。まあそういうもんだろう。みな、なにかをしたら、オヒレやハヒレがつくだろう。というよりもむりにでもつけないといけないだろう。そこで生きていくだろう。生きていかざるを得ないだろう。生きていくということは勝手に整合性をつけられざるを得ない、ということだろう。そういうもんだ、と思ったことを納得していく過程が生きていくってことだろう。 宮崎哲弥はそうじゃない。彼は提起しても解決しようとは思っていない。彼には解決すべき問題なんてないんじゃないか。解決できない問題を、そうだと思っていながら提起するタイプの人間が学者でも弁護士でもなく評論家であるってこと。宮崎はなにがしたいのだろう。ラディカル・ブディストだからすべては無意味? 一言。 「革命でも起こさないと変わらない。自分は悔いの残る人生はいやだから、できることやって死ぬ。それだけ」by五十嵐敬喜。 その時に、会場からはおおらかな笑い声!
by maru-eo
| 2005-02-05 22:05
| おいでませ世田谷
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