「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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・・・ベンヤミンのメディア論を考えていくうえで、こうした「と」=メディアの微妙な存立の様態は絶対に見逃されてはならない。メディアは、我々人間が類型化(志向的に理解)しうる対象どうしを取り結ぶ-それを通して(durch)何かが伝達される-第三項ではなく、それ自体として-その作用の内で(in)-「媒介されるもの」を構成していく契機なのである。 04-02-28 ベンヤミン・ノート ************************ ”個性の権化”のように扱われているように思うベンヤミンを通して北田氏自身のメディアにたいする考え方が現れているように思われる部分。北田氏は「実存」的な視点から距離をとる。その秘訣? がここに書かれているように思う・・、けれどもベンヤミンをダシにメディア論擁護しているようにしか見えないこともない。まあ、ではなぜベンヤミンの『パサージュ論』はそれを実現してしまったのか、という問いは、社会学者のすることではないんだろう、といういつもどおりの結論。 ■つぎに北田が受け止めたハスミの言葉。『ユリイカ』3月号「特集論文作法より 蓮実:…ある文脈が少なくとも十はあるということを、最低限の知識として持っていなければ論文なんて書くべきではない。ところが「PC」の人たちは一つの文脈を選択するとその文脈に自足すればいい、それが書くことだと思ってしまっているので、まず書いている人自身に揺れがない、書かれている対象が自分から擦り抜けていくという実感もない、すり抜けた対象を改めてどのように取り戻そうとする戦略がない。 にたいする北田氏の感想? 僕は、こうした蓮實氏の「警鐘」を、「批評」という文脈から無理やりひっぺがして、「文化社会学」に対して向けられたものとして受け止めることとしたい。「すり抜けた対象を改めてどのように取り戻そうとする戦略」こそが「文化」社会学にもっとも必要なものだと思うから。 誰かハスミ論書かんのか、にたいする北田氏の答え ご健在であるかぎりありえないでしょうね。最近の80年代論ブームのなかでも蓮實さんは微妙に回避されている。みんな「畏れ」ているんじゃないか。正しい態度だと思いますが。 ******************************** ハスミ氏の「お父さん」的な間違いのなさ? はなんなのだろうか。↑の発言など非常に説得力がある。これは、思うに(80年代以降の日本で)ハスミ氏だけがもちうる「説得してやろう」的な態度に起因するのでは、などと思った。 他に「説得」的な発言をする/しようとする人がいないのではないだろうか、人文系では。しかしそこにもし北田氏が言うように「畏れ」のような感情があるとするなら、そりゃハスミ論は誰にもかけないよなあ。だって対象化されないってことだもの。それはマズくないか、みんなもう大人なんだし。 ともあれ北だしはとてもいい男だなあ、と感心。以上ここ
by maru-eo
| 2005-03-21 15:56
| 柄谷・浅田〈宮台〉東・北田
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