![]() 「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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【オレたちにドラマはあるのか!? 坂手洋二の場合】 タイトルは学生時代の私たち仲間(総勢2名)の問題意識。だったけれどももう長いことそういうことを考えなくなっていた。問題は「オレたち」からどっかの誰かにうつっていった。 燐光群の『屋根裏』をいま観てきて久しぶりに思い出した。 自転車で10分程度の梅丘に本拠を置く燐光群と主宰者の坂手洋二のことを僕は世田谷に越してきてから勝手に「わがまちの劇作家・劇団」と親しみを感じている。一つの劇団としてはどこよりもおおく観ている劇団だ。 坂手は社会派といってよい劇作をする。天皇、戦争、地雷などを主題に選び観手にたいしてある程度の視点を与えるような作法だ。今回の『屋根裏』の主題は「引き篭り」。 「屋根裏」と名づけられた住居ユニット商品をめぐるいくつもの物語を並立させて描く。 いわゆる普通の引き篭りの少女、引き篭った末に死んでしまった青年、精神を少し病んだ女、処女を10年監禁している40男。「屋根裏」は時には海外ボランティア(地雷撤去!)や刑事の隠れ場所になり時には刺客が潜む文字通り屋根裏になる。ホームレスの家にも。 主役といえるのは屋根裏で自殺した弟をもつ男で、「屋根裏」を作った製作者を探している。 ところどころで、パッと光るような詩的な情景や台詞があるが、どうにも全体としてつながっていない印象だ。これが案外といつものことでそここそが坂手の問題の中心であるような気がしている。 いづれの役も、おのおのに疑問符をもち、それぞれの場所から違ったやり方で提示する。だが、それが出会うことなく、投げ出されたままなんとなく主役をめぐって一応の結論のようなものが差し出される。 どうにもブルーハーツの「パーティー」の歌詞のように投げ出されたメッセージが出会うことなく独立して宙に舞い疑問への答えはない作品だ。これはきっといまの私たちをめぐる状況と似ているように思う。問題系だけが無数にネタとして掘り出されるが、対話がなく生産的な議論も起こらず答えを共有することがない。 (ところでこの芝居の中で何人が死んだか。脆弱なドラマ作品はわりに容易に人を殺す。僕は劇中で人が死ぬたび無条件で作品評価の点をひとつづつ下げることにしている。今作ではそんなに死なないが) ■学校でいじめられてながらクールにまたわりあいユーモラスに引き篭りを選ぶ少女は、家庭訪問に来た担任の女教師にたいして逆に悩みを聞いてやったり、プラネタリウムを見せてやったりするする。彼女はアンネ・フランクと比べて「いまわたしは自由だ」と表明したりする。 ■小学4年の少女を10年来「屋根裏」に監禁して、歯や足をぼろぼろにしている男は、「これは賭けだ。オレはギャンブラーだ。世界に対して勝負しているんだ」と開き直る。 ■幼少時に何者かによって監禁されたのち発見されたカスパー・ハウザーはいまでは音楽を聴いたり勉強したりしている。彼は夜になるとぶら下がって体を伸ばす。ナニヲしているか、世界を見守っている、と報告する。 ■オリジナルの「屋根裏」には製作者の絵が小さく書いてあり、それを大きく拡大して描くと「屋根裏ハンター」があらわれるというテーマがある。いわば創造者にして救世主であるだろう「ハンター」はいくつもの挿話に登場し、対立したり、説得したり、ただ見ていたりする。結局、言葉も話せず、兄が製作する「屋根裏」に絵を描いているだけだと判明する。兄は弟が入る「屋根裏」を最後に作って製作をやめたいと思っているが、弟は満足しない。 ■主役の弟はいつも兄を見ていて真似をしながらも、兄を立てていた。二人で山にのぼって遭難しかけたとき弟は道を兄に発見させようとしていた。自分で知っているにもかかわらず。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 芝居というのは一般に、一流のものでない限りどこにでもあるような凡庸なドラマツルギーで勝手に盛り上がり勝手に終わらせ、主宰者や俳優だけが満足することがあるが、そういうものに比べると坂手洋二のやり方は面白い。 いわゆる演劇状況のなかで社会的事象に積極的にコミットするというのは、坂手なりのいまにドラマを見出そうとする苦心に見えるからだ。古色蒼然とした分かりきったような葛藤や結局ナルシシズムに終わるだけの大劇団や、趣向の面白さや主宰者の個性だけで打ち上げ花火を繰り返すより、ずっと生産的だと思うから。 ★★屋根裏という主題の先達である乱歩の作品を劇中で「まあ話自体はつまらんものです」といったようなことを坂手は語らせている。「覗く」という主題に読み替えれば、寺山修司にもつながるだろう。星空を「夜空に幾千の覗き穴!」と称した寺山の時代はもうずいぶんまえのこと。寺山と僕らのあいだにいるポストモダニストなら、坂手はドラマを脱構築するのだとか、左翼であれば坂手の社会的事象の取りあげかたや、彼が好む政治的皮肉に共感するかもしれない。でも僕はそうしたいづれをも古臭いスタティックな教条として拒否したい。きっとそうした輩は坂手論をかくことなどなく、坂手を通り過ぎ、現代を消費して、いつかさもなにもなかったかのように棄てるだろう。★★ 坂手の作品には通底するドラマツルギーがない。それにもかかわらず、いやそれだからこそ彼はたくさんの作品を生み出し続ける。彼は「世界」を描くために「社会」を導入することで、ネタに困らないといううまい方法論を見つけたのだと思う。それはじつにいまっぽい。 ドラマなどどこにも見当たらず、葛藤も発生することができず、淡々とニヒリズムを徹底させていく現代で、劇作家として存在すること。坂手は賢い人だからきっと死ぬまで劇作家でいつづけることができるだろう。彼には劇作を中座、頓挫、断念させるような社会的要因はないと思う。彼の政治手腕はなかなかたいしたものだから。 ネタ化した社会でドラマを書き続ける人として僕は坂手の問題提起を眺めている。彼がどのように変容していくのか、あるいはこのままゆくのか。いつか「世界」を描くことがあるのか。また彼なりのドラマツルギーを発見するのか。 この『屋根裏』は、個人的にはラストに納得できないし、作劇上の不備も多いと思う。しかしながら、とりあえずこの作品は、引き篭りを主題に選んだことで、坂手が「社会」から「世界」を描くことを可能にしたという意味で代表作であるだろう。それぞれの挿話に坂手のテーマや問題系が反映しているだろう。 これでまた来るべき坂手洋二論の材料が増えた。これからもわが町の劇作家の活動を屋根裏ならぬ客席から、覗くのではなく堂々と目を凝らしながら、見守っていく所存だ。
by maru-eo
| 2005-04-10 03:22
| 本・映画・芝居
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