「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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三遊亭圓生(六代目) 1.寄席育ち ■生きものには餌(え)あり 46分03秒の円生自伝語り。『落語芸談』(てるおかやすたか)や本人による『寄席育ち』(青蛙書房・1975)というのもある。本人の声色で聴くことができる。こんな風に安定した自分語りが出来るってのは時代を感じる。明治33年9月3日、大阪生まれ。実父の事業失敗、両親の離婚で東京へ。義太夫語りから噺家になった。大正11年2月橘家円蔵死去「親以上にわたくしは師匠を慕っておりました。まったく師匠のためならなにかあったら命もいらないと」。こう言えてしまう人である。時代と才能と努力と性格があいまって落語界随一のレパートリーをもっていたという円生という人が生まれた。志ん生にもこういう自伝語りのテープみたいのが残っていると思うけれど、円生は名演集のひとつとしてこれを録音している。昭和15年1月オヤジ=五代目 円生が亡くなる。 「とんでもないことだ。“円生”なんという名前はもしは第一人者となれてそれで当たり前なんです。もしいけなければあいつは馬鹿だといってあたしが世間から批難されなきゃならない」。満州へ慰問旅へ。帰ってくると「あいつは巧くなった」と言われる。からかわれていると思ったがそうじゃなかった。やっぱりいろいろな経験をすると話に影響がある。「これなら噺家で食えるかも」と思い人情話などにも手を広げる。昭和35年11月「首提灯」(東横落語会)で芸術祭文部大臣賞を受賞。翌月から「円生全集」全10巻。昭和48年3月、天皇皇后両陛下の前での「お神酒徳利」の口演。噺家としての初めての快挙を勝ち取っていく。「お若い方とわれわれの明治生まれの人間の皇室に対する尊敬というものはお話にならないほど違うんじゃないかと」。隠居まで語られるが、どうにも「私の履歴書」を読むような余裕が滲む話しぶり。昭和51年1月20と27日にニッポン放送で放送された音源。
by maru-eo
| 2005-07-15 20:32
| 落語
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