森山大道 1984
ニッポンを代表する ? かどうかはオレにはわからん森山大道の写真。彼が「犬」の名のもとに撮った写真や書きつづった文章はイマのワカモノたちに読まれる価値があると思う。
ちょっといかにも寺山修司的なキライがあるけれど、でも、記憶は認めるべきだ。自分の記憶とは向かい合うべきだ。だからといって果てしない「記憶」の病理にハマる必要はない。
でも、自分が歩んできた道は認めた方がいい。その時にここで「犬」という言葉でもってかなり健康的に向かい合われた筆者の健康的な記憶はきっと、オレたちのムダな気負いを亡くしてくれるだろう。
街に流れる懐メロやかつて観た写真集や読んだ本に、筆者はカメラと自分の意志で向かい合っている。なかにはコムツカシイと思ってイヤになる人もいるかもしれない。そんな時には写真を見て、といっても写りの悪い活字ばりの写真だけど、文句の一つもたれて文藻をひとページ読んだらいい。こんなひともいたのよね、いまもそうして生きていて、カメラを持って歩いているのよねと思ったらいい。
それだけで、どっか、ちょっとしたひとつが進むはずだから。なんにもねえやクソ ! でもいい。それでもいいから、ここに書き付けられた森山大道という表現者の言葉に触れて欲しい。それでどうなれるかなんてオレは保証できないけれど。だからどうなったとか、それはそれでオレ自身のハナシでもあるから。みんなそこそこ自然に生きていったら良いんだ、