「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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インスタレーションとかやったりするアート集団みたいな人たちが作った歌モノアルバム。とはいえはっぴえんど、サニーデイ・サービス系の日本語つぶやきフォーキー・ポップが好きな人はズッポリいきそうな作品集。 この人たちはポップ・ミュージシャンというよりは言葉を持ち寄り、楽器を持ち寄り、だったらばオンガクやるべーか、という人たち。なぜこういうのがいるのかなんて素朴すぎる疑問よりは、なぜメジャーデビューしたりすんのか、と穿った疑問を発したい。 よく義理や仕事で観に行った美術展とかで、歴史をカクスルとかとはまた違ったなんかイイとか思ったンダという作家がいたりする。そういうのはだいたいそこで忘れてて、よっぽど運が良いとまたいつか出逢ったりする。それは作品がそこにあるきりで、持って帰れないからである。たとえ展覧会パンフ等をもらっても家に帰って見たりしてもそりゃ全然違ったりする。そこに、その人がそうやって置いた、そのキモチにオレたちはそこで出逢ってイイナアと思ったのでアルから。その出逢いをジブンチに持って帰るのならば、その一品を購入し、それにあった置き方をしなくてはならない。ゲイジュツのめんどくさいところ。アウラといってもイイ。 ポップ音楽が芸術表現として優れているのはメディアが充実しているからである。CDがあり、デジタル・メディアがあり、歌詞カードがあり、なんとなれば口ずさむこともできる。このことは実はスゴイことである。みな当然だと思っているかも知れないけれど、この人たちはその良さを最大限に使っている。いや使っている側は聴き手であって、この人たちはうまいことオンガク・メディアと出逢っている。 全然別のモノのようかも知れないけれど。浅川マキの歌を家でCDで聴くのに近いのかも知れない。ライヴでその場にいて聴いた方が良いのだろうけれど、家に持って帰って一人で聴いてもちゃんと置き場所があり、聴けるっていう。それだけのものが詰め込まれているという点で。状況を共にするのはちょっとムツカシイかもと思いながらも、演っている側も判ってくれていて、それをアルバムに落とし込んでくれているという点で。 インストのM5は、インストでもイイ。これはまた歌入りとは違うもので、ということは歌がそこまで大事なんじゃないという力の抜け方(「抜き方」でもなさそうな)を学びたい。 オンガクというよりはもっと繊細な提示のされ方をしている音楽を通した表現。これはたぶん自己表現ではないような気がする。そういう自己というよりはもっと自己が世界に融けていく、そういう瞬間を音にのせて聴き手に届けていると思う。音として鳴っていることの幸せさを、よおく教えてくれる。 1.お手紙 2.夕暮れ電車に飛び乗れ 3.たまに笑ってみたり(スタジオライブ) 4.動物園のにわか雨 5.田中さん,日曜日ダンス(インストゥルメンタル) 6.ビニール傘 7.線の上 8.遠く遠くトーク(スタジオライブ) 9.うしろまえ公園 10.融
by maru-eo
| 2005-09-10 22:36
| 「Jポップ」を擁護する
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