「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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今日、世田谷の赤堤というところでとてもよろしいコンサートを見てきました。いちおう仕事で。 地元の有志が毎年やっているものでもう19回目。僕は3回目くらいですが、いつもは神社の神楽殿でやる。今年は雨の影響でとなりの幼稚園が会場。 第一部はモンゴル生まれの楽器 馬頭琴を弾くライ・ハスローさんという男性。優しさが草原の風に鍛えられて鋼のようにひきしまった音色。無骨な家具のような胴体と、ネックの先についている馬の彫り物は、モンゴルでは自分の愛していた馬に似せた肖像を彫る人が多いのだそうです。本人作曲のものや、日本の愛唱歌などを演奏。最後のリズミックな「天馬」というのは面白かった。そりゃ、馬とともに生活している、広い草原で生きている人たちの音楽だから、ただ、ヒョロローというだけではない。リズムを前面に押し出した、馬のいななきを真似るようなところもある、キュートな作品でした。『青いナムジル』という馬頭琴の発祥を語る伝説に想を得て書いたものとのこと。 で、第2部は3年連続の出演となるアンサンブル・ライン。東義直さんが率いる室内楽の集団。今回は四重奏に、コントラバスを加えたゼイタク・バージョン。これがすばらしかった。 ドヴォルザークの「弦楽のためのセレナーデ」を5重奏用に編曲したもの。室内楽の基本フォーマットである四重奏にバスがはいることで、もうイッコ下の音域を支えることになり、じつにおもしろい効果を出していた。 室内楽はかつて西洋の貴族が、自分楽器を持って楽しむために生まれたという経緯がある。自分の屋敷で、モーツァルトとかを招いて、自分でも弾ける曲を書かせて、自分も楽しむ。その後はシューベルトが友人達を招いてやっていたシューベルティアーデなんかも有名です。つまりは、かしこまったリサイタルではなくて、身近な音の楽しみだったわけです。 そうした贅沢な楽しみを、自然に街の人たちが開催する。腫れたときには神社には篝火がたかれ、木々に囲まれながら照らし出される神楽殿でバッハなんかをやったりする。ステキな催しです。 演奏された「弦楽」は、モンゴルの馬頭琴に近いものは、と考えたところから、東欧チェコの作曲家ドヴォルザークの作品を選んだとのこと。このへんも気が利いている。しかも19世紀のどちらかといえば近代の音楽家なわけで、その優雅と近代的な哀感といったものが入り交じった響きを、室内楽に置き換えてやるという。重ねてしかも、コントラバスも入って。 会場は20畳くらいの。東氏いわく「田舎芝居のような」。マイクはナシ。PAを通さないで聞こえてくる音は、まさに目の前のヴァイオリンやヴィオラ、チェロの木の響き。じつに完成された西洋音楽の粋といった響き。それを最適な環境で聴くことのできるよろこび。 音楽は、けっきょく、揺れる空気である。今日聴いたらば、一種の運動であるとさえ思った。木から、厳密に言えば奇とガット源と馬のしっぽから発せられた、音に姿を変えた空気(ブゾーニに倣っていえば「大気」)が、聴き手の周りを包む。空気は皮膚を刺激し、なでさすり、呼吸とともにカラダのなかに入るだろう。血液とともにカラダのなかを駆けめぐるだろう。 五重奏や四重奏は、音の重なり方やハーモニーの作られかたがまるで目に見えるように、聴くことができる。5つの旋律が重なり、面を作る。面はどんどん移り変わり、姿を変え、動きつづける。 せまい室内では、そこにいる聴き手もまた楽器のひとつだ。聴き手のカラダの揺れ、吐息などが、鳴っている音楽と出会って、響きを変えていく。 ドヴォルザークの頭のなかで鳴っていたオーケストラの響きが、もうひとり別のひとの感性で、ごく身近な響きに生まれ変わる。それを音楽のなかにはいっていくように、浸って聴く。室内楽はそのとき、それ自体がひとつの部屋になって、聴き手をそのなかに招き入れるだろう。 たとえばモーツァルトを聴かせながらビールを造るとか。肉牛に聴かせると肉が軟らかくなるといわれるが、そういうことがなんとなく体感される。かつてのおエライ人たちは自分ちでそういうことをしていたわけで、きっとそれは感情やキモチにたいするエクササイズのようなものでもあっただろう。 2曲目はキング・オブ・ミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」から。聞き慣れたシンプルなメロディーが5つの楽器によって豊かな響きに変わる。子どもは手を動かして、カラダを揺らす。僕もいっしょに揺れる。音楽が、音が届くかぎりで、いろいろなものが揺れる。 最後は「紅葉」と「ふるさと」をアンサンブル・ラインの伴奏でみんなで合唱。僕は外に出て、しゃれた建物をみながら、夜の空に溶けていく音の姿を確認する。 いかにいます父母。 つつがなしや 友がき 雨に風につけても 思ひいずる故郷。 会場に集まった多くの人はいろいろなところから世田谷にやってきた。 こころざしを はたして いつの日にか かえらん。 しかし、子ども達には世田谷がふるさとだ。音楽は言葉といっしょになったときに時間や場所を越えて、いまとつなげることができる。過去のことを歌いながら、これからをそのなかに育てていく。 このコンサートでは恒例で休憩中にワインが振る舞われるのですが、さすがに今日はいただきませんでした。そうして、500円を文化箱へ。ステキで豊かなこれからへ感謝してね。
by maru-eo
| 2005-10-17 21:27
| クラシカルM
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