どうにも分裂病的ではないか。音にしたい、音で与えたい感情や感興が、ひとつにまとまっていないのか、それをそのまま出してしまうことが、この作家の仕事だったのか。
ゲンダイオンガク、特にそうでなくともクラシカル・ミュージックと呼ばれるものは、ようするにコンポーズ=作曲・コンポジション・構成、されたものを音だけで他者に伝えようという表現である。
だから、いまのポップスに慣れた人たちには不親切だし、サービス不足に思えるだろうし、ちょっとエラソーにも感じられるだろう。言葉もなく、耳新しい音もなく、(作家の側にしてみればプリペアドピアノは新しい音なのかも知れないけれども、新しい聴き手にはそんなことはなさそうじゃないか)、いかに聞かせるか。これはたいへんムツカシイ、分の悪い勝負であるように思える。
名前はいつまdめお残るかも知れない。だけれども、音は着実に死んでいく。そこにまったく新しい聴き手に、伝えようという 作家の意志が込められていなければ。
指揮=岩城宏之/東京交響楽団
1.曼荼羅交響曲 第一部 金剛界曼荼羅
2.同 胎臓界曼荼羅
指揮=黛敏郎
3.プリペアド・ピアノと弦楽の為の小品 Ⅰ プロローグ
4.同 Ⅱ 間奏曲
5.同 Ⅲ フィナーレ
指揮=森正/東京交響楽団
6.
饗宴