「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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これは一級品のドキュメンタリーだ。一つの国があり、政治システムがあり、それを内側から変えること。まずそうした社会的事実があり、丁寧に取材されている。 そして、その国には歌があった。歌とはなにか。 日本語版では使われていないようだけれど副題は「A REVOLUTION IN FOUR PART HARMONY」。リー監督が92年取材時スタジアムを埋める3万人が、自然に歌い始め、そのまま四部合唱になっていくのを聴いたとき、これは映画になる、映画にしなくてはならないと思ったそうだ。 3万人の四部合唱。なぜそんなものが生起したのか、この映画はしっかりと教えてくれる。 歌はコミュニケーション。アフリカでは誰が創ったのかは重要ではない。歌は自然淘汰される。子どもが殺された、私は子ども達のために歌を作った。歌は武器。相手を威嚇するための。ヴィシレ・ミニは絞首台のうえでも歌ってた。闘争が過激になるに従って、歌も過激になった。「聖書」がバズーカ砲に変わった。泣くことは士気を下げる、私たちは泣く代わりに歌を歌った。 われわれが偉大だったのは勝利を得たあとに白人を血祭りに上げなかったことだ。 歌は、なぜわれわれが戦うのかを伝えることが出来る。何も知らない、政治を知らない彼らにも、なぜわれわれがアパルトヘイトに反対するのかを教えることが出来る。 1948年にアパルトヘイトが出来た。南アフリカの黒人たちは差別された。ヒトと見なされなくなった。子ども達は言葉のために殺された。ネルソン・マンデラの名前を公共の場で言うだけで逮捕された。一行しか歌詞がないうた。「われわれが何をしたのか?」 監督が特典のインタビューで(これ自体が大変素晴らしい内容)、アフリカから音楽は生まれるとヒトはいうが、多分本当だ、といったあとに、南アでは音楽よりも歌なんだ、という。 歌とは何か。音楽以前。音楽がなくとも歌はある。その歌が高度に社会性をもったとき、3万人の四部合唱というとてつもなく強力な歌が生まれる。そのために起こったこと。「歌があったから戦いがあったんじゃない。戦いがあったから歌があった」 ノー天気で、戦い知らずのオレからすると、戦いがあったときにも歌があった。戦いが終わっても歌がある。戦いが起こる前にも歌があった。 彼らは、アカペラで歌いながら自分の舌を鳴らしてシンコペートする。蒸気機関車の扉を叩いてリズムで合唱する。何もないとき、ジャンプして、大地を鳴らす。 手を叩いて音を出す、体を動かす、替え歌が創られる、歌詞は変わる。歌い継がれて、歌が生まれる。二人が向かい合うだけで、シンコペートする。みんなが歌うとき、みんなが聴いている。なにも歌がなくても、彼らの中では鳴っている。状況が過酷になると、歌はその強い力を発し始める。行進する、合唱が生まれる。「歌っていれば怖くなかった」。警棒代わって機関銃を支給された機動隊は、その歌をいまでも覚えている。彼らこそが恐怖していた。 ラブソングでも戦いの歌になった。歌はずっと死ななかった。死ぬわけがない。生まれる前からあったのだから。初めて投票に行ったとき「オレは母や祖母や、そのまたおじいさんやおばあちゃんのためになりますようにって思ったよ。彼らは票を入れるコトなんて出来なかった」 1990年2月11日、ネルソン・マンデラが釈放される。「彼がいれば大丈夫だ。彼がオレたちを率いてくれる」「マンデラは神話上の人物だった」「マンデラが釈放されるのをみたときTVの前で跪いて泣いたわ」 「1963年になれば自由になると思っていた。こんなに長くかかるなんてね」「83年の誕生日にマンデラがボツワナにいた私にカードを送ってくれた。まるで自分が監獄にいるようだったよ。姪や妻のことを心配してくれた。カードを読み終えて横になったら、涙がこぼれてきた。そしてこの曲が浮かんできた」 「聖書にはラッパで壁を壊したとある。ブレトリアが壁だ。そして歌がラッパだ」 リー・ハーシュが10年かけて取材して、編集して、作り上げた、20世紀の歌とたたかいの記録。オレたちはそれを知ることが出来る。勝利は彼ら自身のもの。しかし、自由も歌もこの戦いの記録もオレたちは知ることが出来る。 3万人の四部合唱は統制されているか? 誰かが指揮するのか? ただみんなが見つめるなかで、歌に囲まれたネルソン・マンデラが踊っているだけ。
by maru-eo
| 2006-03-05 21:37
| ●○オンガク漂流○●
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