翌四〇年五月、ドイツ軍はフランスになだれこんだ。パリは六月十四日に開城する。彼は近くに住んでいた作家、ジャン・タロオから、降伏が近いことを知らされ、
今日まで生きていなければよかったと日記に書く。「フランスはその罪を、つぐなわされているのだ。」
(中略)
ヴァレリーは泣いた。彼の家族は、ヴァレリーが涙を流すのをはじめて見た。
「私は考える、ゆえに私は苦しむ」とディナールに行っていた彼は、ホテルでその日記に書く。「太陽と海の美しさが、苦しめる。(中略)
美もまた働かねばならぬ。」
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『評伝 ポール・ヴァレリー』P393