「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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テレビを観ても雑誌を見ても救いの言葉は見つからない、と歌ったのはNOKKOだったか。 救いの言葉はたぶんきっと、いろいろなたくさんのものを精査すれば見つかるだろう。なんなら言葉でなくて、音や響きであってもいい。映画の、そのなかの数秒や、アニメの一瞬のカット割りでもいい。漫画のワンカット、詩の一行、テレビドラマのセリフ一つ、ポップソングのワンフレーズであっても、あるだろう。 オレはそう言うものを見つけることをずっとしてきたので、別に激しく悲観することはない。 もう29歳を間近にしたいまとなれば、あるていど自分でメシを食っていくことは出来るし、好きだと思うものに投資することもできる。毎週末を楽しいイベントで埋めることも無理ではないだろう。 いろいろんな環境にいる人がそこここで、死にそうだ、と言ってきた。歌い手であっても死んでしまいたいと歌った人もずいぶんいる。しかし、なにも実際に死ぬことはないだろう。 オレも「死にたいと思う」と人に言ったりする。その時に「そりゃ甘えだよ」とか「ゲイジュツかぶれだよ」とか言われる。ある一つの問いがあったときには、なにがしかの答えが在るべきだ。 人が何事かを問うときには、答えられない問いは建てないものだ、とある文芸評論家が言った。オレはその言葉を知性で考えてそうだと思う。数学の、あるいは理系的な天才というのは、人が立てられない問いを立てられる人だ。仮説を立てることが出来て、それを元にしっかりと着実な思考を展開できる人だ。その着実な歩みの先に、これまでなかった結論が現れてくるのだろう。次を行く人にとって、その結論は、新たな問いを建てるべき余地となるだろう。これは数学でなくても、文芸やら、表現でもおなじ事なんだと思う。 人はそんなに知性だけでは生きられぬ、そう言う人もいるだろう。たいていの人は社会的には問いにもならないところで悩むだろう。その一方で、ある環境で「取るに足らぬ」と退けられることで悩むのだろう。知性に於いて、あるいは卓抜な感性において天才を発揮した人が、フツーの人にとっては取るに足らぬ事で死んだりしている。 最近のニュースやドラマなどをみていて思うことは、もう個人に責任をおっかぶせたり、個人に過度の期待をすることはやめませんかということ。この国では社会的な問題にたいして、個人が、別の個人を相手にしっかりと説得力をもって、答えを出すことはむずかしいのだ。そういう、素質がない、のかどうかはわからないけれども、少なくともそうした訓練や経験は実に少ないのだ。 オレが表現というものを好きなのは、別にナルシスティックナ弱々しい個人が好きだからではない。表現が、最終的には、他人に評価されなくては何もないに等しいということを、如実に示してしまうからだ。 すべての表現は他者に向かって為される。はずだ。Jポップに関していえば、出発はまちがいなくそうした表現だ。自分の表現=自己表現、を他者に伝えたいという感情が根っこにある表現だ。問題は、いくつかあるがおおざっぱに言えば ・技術が稚拙 ・方法が画一的 ・目標が定かでない といったところだろう。 技術の問題は表現者すべてが課題とするところだ。方法の画一化は直ぐにでも超えられる。優れた、といって問題が在れば、きちんとした意識を持った表現者は逆にJポップこそ可能性があるだろう。目標とは、なんのためにその表現するのかということだが、これこそが問題だ。 死にたいと思う人がいたとしても、死なないし生きてしまう世の中である。社会的に言えば、とりあえず死なないでいることのできる人が大多数を占める社会である。これは社会的には優れた社会だ。そうした環境でJポップの表現者たちは、その彼女や彼が措定する特定の二人称にたいして思いを筒会えることを目標としてはいないか。というか、おおざっぱにいえば、している。 オレが思うこと。 社会が他者への意識をなくした個人が溢れている中で、若者がとりあえず、もっとも身近にいる他者に向かって、あるいは目標をそこだけに特定した表現を開始したことは、現状認識として、正しいだろう。Jポップの表現者たちは自分たちの現実に個人としてしっかりとむかいあっている。しかし、受け手や聴き手が、そういう人たちではないが故に、表現者への自己投影という形をとってしまい、ゆるい癒着が生じている。 Jポップの歌い手の多くは自分で詞を書き、曲を書き、自分で歌う。自分で目標を設定もする。そこに向かって、時間を掛け努力をし、表現している。産業としての音楽環境に向かい合うことで、産業を超える表現としての価値を生みだす。いかに稚拙であっても、画一的でも、自分なりの表現を他者に向かって放ち、その評価を得る。この表現者としての立ち位置はきわめて正しい、真っ当なものだ。 問題は、受け手の側が、そうした率直な表現者個人の表現を受け止めきれるだけの視点を持っていないことだ。表現する側が、弱々しくも個人として生まれ出てきたときに、受け止める側の社会が、ひどく疲弊している。 映画やテレビドラマは、産業として、そうした社会におもねった作品を作っている。受け手はそれを観て、あまり面白くないやら、たいして面白くないとか、そこそこ面白いなどと言う。 正直言って、面白いとか面白くないとかいうほどとるに足る作品はずいぶんと少ない。であるのならば、もう少し、受け手も表現に対してくらいは、個人として相対しようではないか。注視したそこにはおそらく、自分に責任を持って何事かの表現を為した個人がいるだろう。 そうした表現が、Jポップの中にあるか、映画やテレビドラマにあるのかはわからない、あるいは小学生の遺書か、中学生の声明文の中にあるのかはわからないが、表現という場を介したのならば、個人が現れ出てくる。そうでなければ、産業化していないような表現は生まれ得ないはずなのだから。2006年のいまは、そういうどこかで切実であらざるを得ない表現が、とても多いと思う。 そうして表現というのは、ひとつの問いなんだ。答えを他者に求める問いかけなんだと。それだからこそ、受け手である他者は、しっかりと受け止める余地もあるし、責任もあるのだ。そういうことが最近思ったこと。
by maru-eo
| 2006-10-31 01:01
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