「火の鳥」シリーズのなかでも傑作的作品であることは確か。
手塚が還暦にいたるあいだに描いた最後の火の鳥。手塚は「火の鳥」というビジョンをまがりなりにも連載のなかで描き仰せた。
毎日の仕事に追われながら自分なりのビジョンを作り上げ、仕事として表現し続け、なおかつ現実セカイともわたりあった・かもしれない・力量は見事。
続く世代が、手塚の足りなかったところを描くんだよ。
そのためには手塚は不世出の巨匠ではなくて、がんばった連載漫画家の代表でこそあるべき。漫画もアニメもそうだけれども、みな過去の大家のビジョンに頼りすぎなんだと思う。
漫画家はものを考える必要など無く、締め切りを守って連載を続ければよい、というのは編集者の金科玉条だ。それはまた現実社会のルールでもある。
しかしね、それだから手塚は偉大だったのではない。毎週毎週連載を続けつつ、それでもなお、自分なりの現実セカイに対して思っていることを、作品に落とし込んだことこそが手塚の天才性だ。
手塚が膨大な作品を残して、描くことのできない場所に行ってしまった今、続く世代は何をしているか。手塚の子やムスメヤ孫がどんなに増えたって、オモシロかあない。
手塚を超える作品セカイはいかにして生まれるか。
そのヒントみたいなものはたぶん手塚という作家の歩んできた道のりを真摯に考えるところからはじまるだろう。