「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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丸山眞男『自己内対話』(みすず書房・1988)から要素別書き抜き ●政治と思想について① 女性は神様か、動物か、どちらかであって、人間にはなれない。男だけが人間であり、人間の矛盾を究極まで体現している。(man,mankindというコトバ)だからドストエフスキーは女が描けなかった。ファウストは、永遠に女性なるもの、われらをひいてゆかしむ、と言った。 p46 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「君は私よりももっと暴君だ。君は抽象的にすぎるよフランク。君は恐ろしい人間になるよ」(ジャン)サルトル『歯車』 p46 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「理念型的な構成は、とくに幻想をもたない人間をその根底にもっている。その人間とは、客観的に無意味になり、酔からさめ、その限りに於いて非常に現実主義的になった世界から、自分自身に投げ返されて、その結果いまや対象の持つ意義と意義連関を、およそ現実に対する関係を、何よりもまず〈自分のもの〉として自ら確立し、理論的実践的に〈作り出〉さざるをえなくなった人間である。」 レーヴィット「ウェーバーとマルクス」訳三五頁 p52 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分の偏見(バイヤス)を大事にしよう。偏見を「客観性」や「法則」の名で非人格化する無責任さを警戒しよう。偏見を偏見としてみとめ、それを不断に吟味することを怠らなければ、思考の硬直が防がれるとともに、「とんぼがえり」的な、立場の急旋回にも陥らないだろう。 p58 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「気象の観測の方が、人間態度の計算あるいは予測可能性よりも不確かなこともある。」 レーヴィット「ウェーバーとマルクス」訳四四頁 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドイツの全体主義と精神の内面的自由。 「自称あるいは実際上の全体性の程度はいかなるものかという問い、さらに進んで、事実上いかなる自由な思想もいかなる保留ももはや残されていないという程度にまで一国民全体の精神的生産性をわが手におさめるようなことが、果たしてどこまで政治的権力の把握者にとって可能であるかという問い。」 カール・シュミット p63 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「カール・マルクスがフリードリヒ・ヘルダーリンを読んだならば、そのとき、はじめてドイツにとってよい事態となるであろう。」 マン「文化と社会主義」一九二九 p63 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「大衆運動は神にたいする信仰なしにもおこりひろがりうるが、悪魔の信仰なしにはけっしてできない。」 ホッファー『The True Believer』 p89 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「運動内部のいかなる困難も失敗も悪魔の仕業であり、いかなる成功も悪魔の邪悪なプロットにあたいす勝利である。」 ホッファー 九一 P68 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「筋の通った不満の場合でさえ、われわれの憎悪はわれわれに加えられる害悪から来るというよりはむしろ自分自身の無力さ、不適応、臆病さ、要するに自己ぶべつから来る。われわれをいじめる者にたいして、われわれが優越感をもっている際には、彼らをさげすみ、あわれみさえもするが憎悪する気にはなれないものである。」 ホッファー九二 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「アメリカ人はあらゆる外国人にたいする優越感の内的感情があるから、国際問題について憎悪者になるのは苦手だ。・・・・もしアメリカ人が外国人を心から憎悪しはじめるようなことがあれば、あおれはアメリカ人が自分たちの生活様式にたいする自信を失った証拠だろう。」ホッファー九四 p69 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「それどころか、完全な無神論の方が、俗世間の無関心な態度より、ずっと尊敬に値しますよ」とチーホンは答えた。 ・・・・「完全な無神論者は完全な信仰に達する、最後の一つ手前の段に立っておる。(それを踏み越す越さないは別として)ところが、無関心な人間は何の信仰も持ってをらぬ。まあ、悪い意味の恐怖くらゐなものですて。・・・・・」 ドストエフスキー『悪霊』スタヴローギンの告白 p70 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「政治学とは、恒久に完璧な社会を打立てる技術ではなくて、すでに存在しているある種の伝統的社会を研究してつぎにはどこへ行ったらよいかを知る術である。」 オークショット『政治における合理主義』五八 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 欲求 「人生には二つの悲劇がある。一つは欲するものを手に入れられないという悲劇であり、もう一つは、欲するものを手に入れたという悲劇である。」 [飽満の悲哀]オスカー・ワイルド p78 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大衆操作の道具としてのイデオロギーという考え方(ナチ!)からは必然的にイデオロギーについてのオポチュニズムが生まれる。これは共産主義と正反対のものだ。共産主義における「悪」はそのドグマ化にある。ドグマ化はオポチュニズムの正反対だ。 (一九五五年の手帖より) p96 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ かつては社会主義や労働運動はけがらわしい唯物主義、あまりに卑俗な要求を精神的価値に優位させるものとして非難された。今日ではあまりに「現実」を無視し、浮足立った理想で人間の日常平凡な要求をふみにじるといって非難される。このアクセントの相違は意味深い。それは現代の既成社会がもはや自らのよって立つ精神的価値を信じえなくなったことの徴候だ。 p97-98 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
by maru-eo
| 2004-08-14 20:39
| 哲学および宗教的なこと
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