「定常状態ーを越える」べく 「○」と何人かが音楽全般ほかよろず語り下ろし中!! / 「すべての表現するココロに捧ぐ」べくお送りしています つねに更新中!maru1978eonta@gmail.com!
by maru-eo 生きてく日々のメモ
文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。 ●○●○●○●○●○● 宮台真司 07年12月22日 カテゴリ
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証言記録 兵士たちの戦争「ガダルカナル 繰り返された白兵突撃」(NHK総合08.07.30)から 戦争に行ったんでない。殺されに行った。 本当の戦争はどこにあったのか、いまでも偉い人に聞いてみたい。 亡くなった人、家族の人に申し訳ない。 ============================== 上はガダルカナルで戦った別々の3氏による発言大意。 日本はさきの戦争で敗戦することができなかった、のではないか、という思いがある。戦争をやめることができないまま、戦争は終わり、すぐに次の世の中がやってきた。 ニッポンでは敗戦の歌は歌われることなく、すぐにリンゴの歌があらわれた、云々。 ガダルカナルで戦った人が、戦争に行ったのではない、と発言することの意味は重い。 しかし、それはガダルカナルだけなのか。きっとそうではない。 上層部は戦争状態を想定することはできても、戦争を着実に遂行するニッポンを想定できなかった。 じっさいに戦ったと想定される人々が、戦争に行ったのではない、という。 ほんとうの戦争はどこにあったのか、といまでも問い続けている。 戦争というのは国家が行うものであるだろう。 戦争をできなかった、人々が戦った戦争を、終わったとするのはどういうことか。 いまニッポンという国が行う戦争を肯定する人も否定する人も、きちんと戦争というものを自分たちに引きつけて想定できているのか、いぶかしい。 あの戦争、さえも戦争でなかったのであれば、ニッポン人における戦争とはいったいなんなのか。 戦いに行ったはずの場所で、戦わずに死んだ人にとって、あの戦争は存在したといえるのか、さえ疑わしくなってくる。
by maru-eo
| 2008-07-30 01:37
| 『ニッポン人と戦争』
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